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ルネ・コティ : ウィキペディア日本語版
ルネ・コティ

ルネ・ジュール・ギュスターヴ・コティRené Jules Gustave Coty, 1882年3月20日1962年11月22日)は、フランスの政治家。第17代フランス共和国大統領(在任1954年1959年)。 第四共和制の最後の大統領である。
== 生い立ちおよび初期の経歴 ==
1882年3月20日セーヌ=マリティーム県ル・アーヴルに生まれる。1902年カーン大学を卒業、法学哲学の学位を取得する。大学卒業後、郷里に戻り海洋法商法専門の弁護士として働く。
その後急進社会党(急進党)に入党して政界入りし、1907年に地区委員に選出される。翌1908年には共和左派に鞍替えし、ル・アーヴル地方議会議員に立候補、当選する。1913年セーヌ・アンフェルール県(現在のセーヌ・マリティーム県)県議会議員に当選し、以後1942年まで在職し、1932年副議長も務めた。
1914年第一次世界大戦が勃発すると、コティはフランス軍に志願し、第129歩兵連隊に入隊し、ヴェルダンの戦いなどに参加した。戦後の1923年ジュール・ジークフリートに代わってセーヌ=マリティーヌ県から下院(代議院)議員に当選する。この時期、急進党を離党し共和主義連盟に入党。1930年12月13日から23日まで、ごく短期間、テオドル・ステーグ内閣で内務次官を務める。
1936年上院元老院)議員となる。コティは、1940年7月10日フィリップ・ペタン元帥に全権を付与するのに賛成し、結果としてペタンを首班とするナチス・ドイツの傀儡政権ヴィシー政府樹立を助けた議員の一人であった。戦時中は、政治活動を控えたが、戦後、復権した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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