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ルパート・ジョーンズ(Ruppert Sanderson Jones , 1955年3月12日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手(外野手)。 == 来歴・人物 == カンザスシティ・ロイヤルズにドラフト3巡目指名されて入団。1976年にメジャーデビューを果たすが、その年のオフ、新設されることとなったシアトル・マリナーズに、エクスパンション・ドラフトの1巡目で指名されて移籍。マリナーズでの3年間は規定打席にすべて到達した。その後、ニューヨーク・ヤンキース、サンディエゴ・パドレス、デトロイト・タイガース、カリフォルニア・エンゼルスと渡り歩いて147本塁打を放ち、オールスターにも2度出場した。1987年オフにFAとなり、1988年はミルウォーキー・ブルワーズ傘下とマイナー契約を果たすも、開幕メジャーを果たせず退団。その後、テキサス・レンジャーズ傘下とマイナー契約して3Aでプレーをしていた(1988年は打率.253 7本塁打) シーズン途中、ランディ・バースの帰国に伴って外国人選手を探していた阪神タイガースに入団。6月に支配下登録されたが、ビザの関係で初出場はオールスター明けの7月末であった。バース並の成績を期待されたが、メジャーとマイナーを通じても通算5試合しか経験のない一塁手を任せられ、(一塁手として)27試合で7失策するなど慣れない環境で低迷した。さらに来日前に既に左肩を故障していたため、外野からの返球は下手投げで、一塁手としても投手がジョーンズの所までボールを受け取りに駆け寄るという光景がしばしば見受けられた。試合後、左肩を投手並みにアイシングしてもらってもいた。9月以降は外野手として出場し、閉幕まで打率.333 5本塁打、守備でも無失策と上向いてきたが1年で解雇された。 日本球界で初めて背番号00を着けた選手で、とんがり頭のスキンヘッドの容貌と併せ、「ゼロゼロ怪人」というニックネームがついた。また、ベンチ内で御香を焚くなどの奇行もあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルパート・ジョーンズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ruppert Jones 」があります。 スポンサード リンク
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