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ルビー・モレノ(Ruby Moreno、1965年9月22日 - )は、フィリピン出身の女優。外国人タレント専門の芸能事務所、稲川素子事務所所属。 == 来歴 == 1992年の映画『あふれる熱い涙』(田代廣孝監督)で新人ながら主役として銀幕デビューし、情感豊かな演技力で注目を集める。 同年、テレビドラマ『愛という名のもとに』(脚本:野島伸司、フジテレビ)の出演で日本中に名前と顔を知られるようになる。 1993年の『月はどっちに出ている』(崔洋一監督)の演技で、日本国内の主演女優賞を総なめにして女優としての地位を確立した。「日本語で演技ができる東南アジア出身の女優」として、テレビのバラエティー番組で道化を演じたりリポーター役を務める多くの「外国人タレント」とは一線を画していた。 ここまで作品にも恵まれ着実にキャリアを築いていたが、一部週刊誌がフィリピンパブのホステスだった過去を書き立てたため、記者会見を開き「ジャパゆきさん」だった事実と、脳性麻痺による重い障害を持つ子の母である事を告白した(当初は「観光関連の仕事で来日した際にスカウトされた」「結婚歴なし」と経歴を詐称していた)。その後、仕事を突然キャンセルする「ドタキャン女優」「借金女優」「枕営業女優」との評判や噂に加え、日本映画界の不況により満足な仕事が得られることが難しくなっていった。ヘアヌード写真集も出版するが一時的な話題にしかならず発行数も予想を大きく下回る結果。モレノのわがままな言動はそのような背景からなるいら立ちや不安から増長していったため、さらに悪循環を引き起こしていった。しかし、身についてしまったぜいたくや見栄を改めることはできず、クラブの雇われママなどを兼業をして収入を得ていた。1995年秋に、数々の素行やトラブルを理由に稲川素子事務所を解雇される。その後、フィリピンに帰国して女優デビューするが現地の芸能界では無名であることに加え、レベルの格差を埋めることができず失敗。1998年、同事務所と再契約し日本の芸能界に復帰した。2000年、日本人商社マンと4度目の結婚をする。 その後失踪騒動で芸能界から自然消滅していたが2010年1月19日に約8年振りに日本テレビ『魔女たちの22時』にテレビ出演。障害を持つ娘が発作を起こすたびに付き添わなければならない(付き添いたい)ために「ドタキャン」していたこと。また、これ以上「ドタキャン」を続けると事務所に迷惑がかかると考えたが、どのように伝えたらよいか分からなく失踪してしまったこと、介護費用のために目立たない職業に就いていたことなどを告白。近年、娘と両親の相次ぐ死や、妹の尽力で稲川素子事務所に復帰した旨を語った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルビー・モレノ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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