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ルフィーノ・タマヨ : ウィキペディア日本語版
ルフィーノ・タマヨ

ルフィーノ・タマヨ(Rufino Tamayo、1899年8月26日 - 1991年6月24日)は、メキシコの画家。
==生涯==
1899年8月26日、オアハカ州フアレスの、メキシコ先住民のサポテク系の家に生まれる。1911年メキシコシティの伯母のところで育つ。1917年、国立造形芸術学校(Escuela Nacional de Artes Plasticas)に入学する。そこで、印象主義キュービズムそしてフォービズムの画法を学ぶ。
メキシコ革命の時、ルフィーノ・タマヨは、政治運動より遠ざかり、自分の創作活動にいそしむ。そして、ディエゴ・リベラらと異なり、美術においてメキシコの伝統を重んじる。メキシコ・シティでの個展を実現し、広い人から注目された直後の1926年、ニューヨークへ行く。1929年、メキシコに戻り、そこで新聞や雑誌から高い評価を受ける。タマヨは、ミクソグラフィア(mixografía)と呼ばれる形式の版画にも取り組む。1937年より1949年まで、アメリカのニューヨークに暮らし、創作活動を展開して個展を開き、アメリカにおいても知名度を上げる。1949年に、ルフィーノ・タマヨは、パリに行くが、そこで10年間暮らす。1959年に、メキシコに戻り、そこで残りの人生を過ごすこととなる。1979年、故郷のオアハカで、「ルティーノ・タマヨ美術館」(Museo Rufino Tamayo)が設立される。
1991年6月24日死亡する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルフィーノ・タマヨ」の詳細全文を読む



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