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ル・マレ(Le Marais)は、フランス、パリの歴史的地域である。長く貴族が住む地域であり、歴史・建築的重要性の高い多くの優れた建造物がある。ル・マレはパリの3区から4区にかけて広がっている地域である。リーヴ・ドロワト(Rive Droite)と呼ばれるセーヌ川右岸の地域にある。 == 歴史 == === パリの貴族的地域 === 1240年にテンプル騎士団は要塞化工事を施した教会をマレ地区の北側、パリの城壁の外側ほど近くに建設した。タンプル塔によってこの地区は魅力を増し、タンプル地区(Temple Quaretr)として知られるようになった。また、サント=カトリーヌ=デュ=ヴァル=デゼコリエ教会(Sainte-Catherine-du-Val-des-Écoliers)と並び、ブラン・マントー(Blancs Manteaux)やサン=クロワ・ド・ラ・ブルトヌリ、カルム=ビエット(Carmes-Billettes)女子修道院などの数多くの宗教施設が近隣に建設された。 13世紀、ルイ9世の弟シチリア王であるシャルル・ダンジューは、自身の邸宅を現在のセヴィーニュ通り7番の近くに建てた〔この邸宅は1868年まで残り、ロワ・ド・シシル通りはこれにちなんで名付けられた〕。1361年、シャルル5世はオテル・サン・ポールとして知られる邸宅をたて、シャルル5世及びその子の治世において宮廷が置かれた。 その頃から17世紀にかけて、特に「王の広場」(現在のヴォージュ広場)が1605年にアンリ4世のもとで設計されて以降、マレ地区はフランス貴族に居住地として人気があった。フランスの貴族は自分たちの本邸をマレ地区に建てた。オテル・ド・サンス(Hôtel de Sens)、オテル・ド・シュリー(Hôtel de Sully)、オテル・ド・ボーヴェ(Hôtel de Beauvais)、オテル・カルナヴァレ(Hôtel Carnavalet、現在のカルナヴァレ美術館)、オテル・ド・ゲネゴー(Hôtel de Guénégaud)、オテル・ド・スービーズ(Hôtel de Soubise)などがその例である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ル・マレ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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