|
ルーカス・ドロウヒー(Lukáš Dlouhý, 1983年4月9日 - )は、チェコ・ピーセク出身の男子プロテニス選手。ダブルスの得意な選手としてよく知られ、2009年の全仏オープンと全米オープン男子ダブルスでリーンダー・パエス(インド)とペアを組んで優勝した。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで10勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス73位、ダブルス5位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ネット際へのドロップ・ショットを最も得意にする選手。 == 来歴 == ドロウヒーは姉がチェコのジュニア女子テニス国内チャンピオンになったことから、姉の後を追うようにテニスを始めた。ルーカスがテニスの技量を伸ばせるように、彼の両親はチェコの首都プラハへの移転に多大の犠牲を払ったという。2001年にプロ入りし、4年後のウィンブルドンで4大大会の男子ダブルスにデビューする。2006年2月のブラジル・コスタドサウイペ大会と5月のポルトガル・エストリル大会で、ドロウヒーは同じチェコの先輩選手パベル・ビズネルとペアを組み、ATPツアー大会で2つのダブルス・タイトルを獲得した。エストリル大会の後、彼は全仏オープンで男子シングルス3回戦・男子ダブルス準決勝に進出し、ここで初めての好成績を出した。シングルス3回戦では第7シードのトミー・ロブレドに 1-6, 4-6, 2-6 で敗れたが、これが彼の4大大会シングルス自己最高成績である。ビズネルとペアを組んだダブルスでは、ヨナス・ビョルクマン(スウェーデン)&マックス・ミルヌイ(ベラルーシ)組との準決勝に進んだ。続くウィンブルドンでは、シングルス2回戦でビョルクマンに敗れ、ビズネルとのダブルスでは第1シードのボブ・ブライアン&マイク・ブライアン組(アメリカ、双子の兄弟ペア)との準々決勝まで勝ち進む。それ以来、彼はツアーでもダブルスの分野で成績を伸ばし始めた。 2007年、ドロウヒーとビズネルは全仏オープンと全米オープンの2大会で男子ダブルス決勝戦に進出したが、どちらも準優勝に終わった。全仏男子ダブルスでは、準々決勝で「ブライアン兄弟」を破りながらも、初進出の決勝でダニエル・ネスター(カナダ)&マーク・ノールズ(バハマ)組に 6-2, 3-6, 4-6 の逆転で敗れた。全米男子ダブルスでは、準々決勝でネスター&ノールズ組に雪辱したものの、決勝でシーモン・アスペリン(スウェーデン)&ユリアン・ノール(オーストリア)組に 5-7, 4-6 のストレートで敗れ、2人は2つの準優勝に甘んじた。 2008年の全仏オープンを契機に、ドロウヒーはリーンダー・パエス(インド)と組んで大半のトーナメントに出場するようになる。このペアはウィンブルドンでネスターとネナド・ジモニッチ(セルビア)組との準決勝に進み、最終第5セットまで争った末 6-7, 6-4, 1-6, 6-4, 6-8 のスコアで競り負けた。続いて全米オープンの決勝に進み、ドロウヒーは2年連続2度目の全米男子ダブルス決勝に勝ち上がったが、ここでも「ブライアン兄弟」に 6-7, 6-7 で敗れ去り、2年連続の全米男子ダブルス準優勝に終わった。この後、ドロウヒーとパエスはジャパン・オープンで来日し、ミハイル・ユージニー(ロシア)&ミーシャ・ズベレフ(ドイツ)組に 3-6, 4-6 で敗れた準優勝がある。 2009年の全仏オープンで、ドロウヒーはパエスと組んで宿願の男子ダブルス初優勝を遂げた。第3シードから勝ち上がった2人は、決勝でウェスリー・ムーディ(南アフリカ)&ディック・ノーマン(ベルギー)組に 3-6, 6-3, 6-2 の逆転勝利を収めた。同年の全米オープン男子ダブルス決勝で、ドロウヒーとパエスはマヘシュ・ブパシ(インド)&&マーク・ノールズ(バハマ)組を 3-6, 6-3, 6-2 で破り、ドロウヒーは3年連続の決勝進出でついに全米ダブルス初優勝を決めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルーカス・ドロウヒー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|