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ルーシ人〔「ルーシ人」という訳語を用いている出典は以下。 * * * * 〕(ルーシじん;古ルーシ語・ルーシ語・ ; ;)は、中世から近世にかけて東欧に居住した東スラヴ系の民族である。第一義的には、ルーシ族(ルーシ人とも呼ばれる)、あるいはルーシという地名に由来し、ルーシ(キエフ大公国)という国に属した人々を指す用語であるが、時代が下るとともに意味するところが変わる。 14世紀末から17世紀前半にかけては、今日のウクライナ人およびベラルーシ人の祖先となる共通民族名であったが、17世紀後半から20世紀初頭にかけてはウクライナ人のみを指す民族名として用いられるようになった。西欧の文献ではルテニア人()〔「ルーシ」のラテン語名「ルテニア」()に由来する。〕として登場するが、日本語文献ではルーシ人とルテニア人の概念は一致しない〔以下の本文と脚注解説を参照。 * * * 従って、「ルテニア人」という用語には、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にない地域あるいは時代の「ルーシ人」は含まれていない。この意味では、例えばキエフ・ルーシ時代からポーランド・リトアニア時代までのルーシ人や、ロシア帝国領となった地域に住んでいた白ロシア人や小ロシア人は「ルテニア人」には含まれない。あるいは、「ルテニア人」と言った場合にはヨーロッパ諸国に住むルーシ系(ウクライナ系)の少数民族を指す場合もある。それらを日本語で「ルーシ人」と呼ぶことは一般的でない。〕。 日本語文献で「ルーシ人」といえば、キエフ・ルーシの人々を指している場合と、14世紀以降のウクライナ人・ベラルーシ人あるいは17世紀以降のウクライナ人を指している場合、それらを特に区別せずに書いている場合とがある。日本語では、少なくとも近世以降のロシア人(大ロシア人)を指して「ルーシ人」と呼ぶことはない。 == 歴史 == === キエフ・ルーシ === 「ルーシ人」という用語の初出は、911年と945年のルーシ・ビザンツ諸条約である。この用語は、当初キエフ大公国の支配階級であった北欧系ルーシ族(ヴァリャーグ)を指していたが、10世紀に当国の東欧系スラヴ人、特にキエフ・チェルニーヒウ・ペレヤースラウの地域に住む住民を意味するようになった。11世紀から14世紀にかけては、キエフ大公国とその後継者ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の人々が「ルーシ人」と呼ばれた。 ルーシ人自身の手によっては、彼らの年代記である『過ぎし年月の物語』において単数形の という形で言及される〔以下にから一部を抜粋して例示。 * * 〕。同様に、1229年の『スモレンスク書簡』においては という形で言及される〔以下を参照。 * 〕〔なお、「ロシア人」は古代教会スラヴ語で 。〕。 13世紀にキエフ大公国がモンゴル帝国によって滅ぼされ、14世紀末にハールィチ・ヴォルィーニ大公国がリトアニア大公国とポーランド王国によって分割された結果、ルーシ人の居住地域〔現在のベラルーシとウクライナ西部・北部・中部。〕はリトアニアとポーランドの支配下におかれた。ルーシ人はもっぱら正教徒であり、異教徒のリトアニア人とカトリックのポーランド人と異なる文化を持っていたので、数世紀にわたり他国の支配下で独自性を保った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルーシ人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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