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ルーベン・シエラ(Rubén Ángel Sierra García , 1965年10月6日 - )はアメリカ合衆国、元メジャーリーグベースボールの右投両打の外野手。プエルトリコのリオ・ピエドラス出身。ニックネームは「''El Caballo''」および「''El Indio''」。 == 人物・来歴 == 高校時代には野球の他にバスケットボールやバレーボールでも活躍していた。 11月にテキサス・レンジャーズと契約し、翌6月1日に弱冠20歳でメジャーデビュー。 デビュー戦ではメジャー二打席目でホームランを記録する。 ちなみに、メジャーデビューした際のレンジャーズの監督は、当時36歳のボビー・バレンタインであった。 この年は16本塁打55打点を記録し、レンジャーズの2位躍進に貢献する。 開幕からレギュラーで起用されたには打率こそ.263に終わったが、30本塁打(自己最多)、109打点を記録。 ベストシーズンは、全162試合に出場し、打率.306、29本塁打、そしてアメリカンリーグの打点王に輝く119打点を記録する。 三塁打14、塁打344もリーグ1位であった。 また、この年オールスターに初出場を果たし、以後4回(他に・・)出場。シルバースラッガー賞も受賞した。 1992年シーズン途中でホセ・カンセコとの交換トレードでオークランド・アスレチックスに移籍する。同年秋に日米野球のメジャー代表に選出され、来日した。それ以後は移籍の繰り返しで、途中にはとの交換トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。 ヤンキースでは以来のプレイオフ進出に貢献したが、翌には、起用法についてジョー・トーリ監督と対立してトレード期限の日にかつて阪神タイガースでプレーしたことがあるセシル・フィルダーとの交換でデトロイト・タイガースに移籍。 タイガースは1996年限りで、さらに延べ6回の移籍を経て、にトレードでヤンキースに戻り、再びトーリ監督の下でプレーすることになったが、かつてのことについて、わだかまりは無くなり、その後2年半ヤンキースでプレーし活躍した。 この間、1990年代後半にはメジャーリーグで出場機会がなくなっていたため、一時期中日ドラゴンズが獲得しようとしていたが、見送っていた。 また、レンジャーズに在籍(2回目の在籍)していたには94試合で23本塁打、67打点を記録し、カムバック賞を受賞した。 第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュがテキサス・レンジャーズの共同オーナーを務めていた当時、シエラはチームの主力選手だった。その為、シエラとブッシュは親しい間柄のようで昼食会に呼ばれた事もある。またブッシュ家の飼い猫インディアの名は彼の愛称「El Indio」から取られたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルーベン・シエラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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