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ルーベン・ダリオ・テハダ(Rubén Darío Tejada, 1989年10月27日 - )は、パナマ・ベラグアス県出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投右打。MLB・セントルイス・カージナルス所属。 == 経歴 == にニューヨーク・メッツとアマチュア・フリーエージェントとして契約。以降マイナーリーグで経験を積んだ。 開幕前の3月に、第2回WBCのパナマ代表に選出された〔Tournament Roster ''The official site of World Baseball Classic'' 2016年3月2日閲覧 〕。 にメジャーのスプリングトレーニングに招待された。4月7日、メジャーデビューを果たした。 、ホセ・レイエスのマイアミ・マーリンズへの移籍に伴い、開幕レギュラーとなった。 オフの11月には、母国パナマで行われた第3回WBC予選のパナマ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。 は、5月に大腿四頭筋を痛めてDL入りし、回復後も野球に対する取り組み姿勢の影響もあり、すぐにメジャー昇格しなかった。57試合の出場に留まり、打率.202・10打点・2盗塁という低調な成績に終わった。守備能力も低く、55試合でショートを守って8失策・守備率.969・DRS -6という内容だった。 は、シーズン通じてレギュラー格で起用されて119試合に出場したが、打率.237・5本塁打・34打点・1盗塁 (2盗塁死) という成績に終わった。守備面では前年よりは調子を上げ、114試合で8失策・守備率.984・DRS +3というまずまずの成績を残した。 はウィルマー・フローレスの本格的な台頭もあったが、ショートをメインに内野のリザーブ格で起用された。打撃面でやや復調し、116試合の出場で自己2位の94安打を放って打率.261をマーク。守備は、ショート (81試合) で5失策・守備率.982・DRS - 15と非常に低調だった。他にはサードを19試合、セカンドを13試合で守った。チームにとって9年振りとなったポストシーズンでは、ロサンゼルス・ドジャースとのディビジョンシリーズでポストシーズン初出場を果たしたが、第2戦の7回裏の守備の併殺プレーのときに1塁走者のチェイス・アトリーの激しいスライディングを受けて負傷退場した。診断の結果、右足の腓骨骨折とわかった。 3月16日に自由契約となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルーベン・テハダ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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