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ルー・ジャクソン(Louis Clarence "Lou" Jackson , 1935年7月26日 - 1969年5月27日)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元プロ野球選手(外野手)。愛称は「黒い稲妻」、「褐色の弾丸」、「黒いアトム」。 == 来歴・人物 == にシカゴ・カブスと契約。7月23日にメジャーデビュー。からまではメジャーでの出場は無かったが、にボルチモア・オリオールズでメジャー再昇格。 にサンケイアトムズに入団し、来日。小柄な体格ながら俊足・強肩を武器に活躍。翌からは新たに入団したデーヴ・ロバーツとのコンビで弱小だったアトムズ打線を支えた。同年はオールスターゲームにも出場している。 当時のアメリカでは黒人差別が顕著な時代でジャクソンも少なからず差別を受けていたという。しかし、新天地・日本ではそういった差別もあまりなかったことからのびのびとプレーをしていた。 しかし、来日4年目の3月26日、ジャクソンはオープン戦に出場したものの打席で倒れ、そのまま東京慈恵会医科大学附属病院に搬送された〔小川勝『プロ野球助っ人三国志』毎日新聞社、1994年、ISBN 4620310069〕。4月26日に手術を受けるも、5月27日に膵臓壊死により33歳の若さでこの世を去った。遺体は横田基地を経由して母国に送られた。太平洋戦争中に日本領の硫黄島で戦死したハリー・オニールを除けば2013年現在、日本で死亡した唯一のメジャーリーグ経験者である〔http://www.baseball-reference.com/bio/Japan_died.shtml〕。 ジャクソンの死の原因は偏食にあったとされている。特に焼き鳥が大好物で毎日かかさず食べていたといい、また妻との離婚問題を抱えていた上、ホームシックによる精神の不安を静めるために飲酒も欠かさなかった〔妻との関係は1967年には険悪になっており、1968年には妻を残し前年に生まれた娘は義母に預けて一人で来日していた。そして、朝昼晩の食事が毎回ビールと焼き鳥だけで(ビールは10本飲むこともあった)、一方で米もパンも野菜も食べなかった。ジャクソンが死んだ時も看取ったのは妻ではなく義母であった。( 近藤唯之『プロ野球 騒動その舞台裏』 新潮文庫 1990年 ISBN 4-10-132208-2 )。〕。 なお、ジャクソンが生前最後に打った本塁打はサヨナラ満塁本塁打だった。 現在のヤクルトの球団史上初の外国人選手としてファンに愛された選手であり、その為か、ジャクソンが着けた背番号3は、同球団ではアレックス・ラミレスなど外国人選手の背番号として使用されることが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルー・ジャクソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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