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レイムディアー(ターカ・フシュテ、1900年?/1903年生? - 1976年)は、アメリカインディアン・ラコタ・スー族に属するミネコンジュー族の伝統派メディスンマン、語り部。 == 来歴 == ターカ・フシュテ、またはターカ・イシテ(片足が不具の鹿)は、1900年ごろにサウスダコタ州ので、「ワイ・ヨヒ・ヤ」(サイラス・レット・ゼム・ハブ・イナフ)とサリー・レッド・ブランケットの間に純血のミネコンジュー族として生まれた。 伝統的な風習に従って、ターカ・フシュテは祖父母の下で育った。6歳か7歳のときに、白人の学校に入学させられた。インディアンの自由な生活から一変して、それは軍隊的な規律だらけのものだった。この小学校には全学年過程がなかったため、毎年新学期になると同じ3年生の授業が繰り返された。14歳になるとインディアン寄宿学校に強制入学させられた。祖父母の愛情の中で育った彼にとって、「(祖父母によく言われたように)本当に白人にさらわれて、全寮制の寄宿学校に送られ白人の同化教育を強制されたことは、正真正銘の恐怖だった」と語っている。 寄宿学校を卒業したあと、レイムディアー青年は旅に出て、ロデオ興行に参加して道化を務めたり、羊飼いに雇われたりと、様々な職業に就いた。気が向けば飲んだくれ、女を買い、車を乗り逃げして捕まったりと、「規律」や「束縛」を「白人の流儀」として嫌い、インディアン本来の価値観に沿った奔放な生活を送った。 あるとき、女神「白いバッファローの子牛の女」がスー族に伝えたという「バッファローの子牛の骨のチャヌンパ」(聖なるパイプ)の保存継承者であるイタジプチョ族のエルクヘッド家の未亡人と出あった。エルクヘッド家はすでに絶えようとしていた〔現在、スー族のルッキングホース家が受け継いでいる。〕。このとき、老女は「おまえの来訪を待っていた」と語った。この「チャヌンパ」を手にした途端、身体に稲妻が走り、体中の血がパイプを通って戻って来たと語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レイムディアー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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