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レイモンドの戦い[れいもんどのたたかい]
レイモンドの戦い(レイモンドのたたかい、英:Battle of Raymond)は、南北戦争で起きた戦闘のひとつ。 ==概要== レイモンドの戦いとは南北戦争におけるビックスバーグ方面作戦中1863年5月12日に、ミシシッピ州レイモンド近くで行われた戦闘である。北軍ユリシーズ・グラント少将が指揮するテネシー軍の部隊と南軍ジョン・C・ペンバートン中将が指揮するミシシッピおよび東ルイジアナ方面軍の部隊の間で激しい戦闘が行われた。南軍は北軍のサザン鉄道への到達を許し、この結果孤立したビックスバーグには増援も補給も不可能になった。 南軍のジョン・グレッグ准将は北軍に対して戦術的急襲による圧勝を試みたが、逆にジェイムズ・マクファーソン少将の指揮する第17軍団に急襲され潰走させられた。北軍は勢力的に3対1と南軍を上回っており、大砲の数では7対1だった。この戦闘での北軍の損失は戦死68名、負傷341名、不明37名だった。南軍の損失はほぼ倍であり、戦死100名、負傷305名、捕虜415名を数えた〔Memoirs of Ulysses S. Grant, Chapter 34〕〔Grabau, page 66〕〔OR Series 1 - Volume 24 (Part III) Chapter XXXVI page 638〕。 戦闘規模は比較的小さいものだったがビックスバーグ方面作戦全体にとっては存外に大きな影響を与えた。北軍は鉄道を遮断し、南軍ペンバートン麾下の部隊を統合し、ジョセフ・ジョンストン将軍の軍隊とも合流する試みも妨げた。その結果、ペンバートンは選択肢が3つしか無くなった。ビックスバーグを放棄するか、市内に引きこもり包囲されるか、あるいは優勢な敵軍に対して決戦を挑むかだった。ペンバートンは上官からの矛盾する命令を受けたうえに部下からは公然と反抗も受け、最後の選択肢である会戦を選んだ。レイモンドの戦いは1863年5月16日のチャンピオンヒルの戦いに繋がっていった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レイモンドの戦い」の詳細全文を読む
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