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レイモン・コパ : ウィキペディア日本語版
レイモン・コパ

レイモン・コパゼフスキー(、1931年10月13日 - )はフランス出身のサッカー選手。ポーランド系。ポジションはFWMF。愛称は『ナポレオン』。
1950〜60年代のフランスサッカー界のスター選手であり、フランス人サッカー選手として初めてレジオンドヌール勲章を受章した〔コパ氏がUEFA会長賞を受賞 - uefa.com 2011年2月4日〕。
== 経歴 ==
地元のクラブであるUSヌー・レ・ミネで頭角を現し、1949年リーグ・ドゥ所属のアンジェSCOとプロ契約。1951年スタッド・ランスに移籍し、そこで2度のリーグ・アン優勝を成し遂げる。1952年10月5日の西ドイツ戦で、フランス代表としてもデビューした。1956年チャンピオンズカップ決勝戦でレアル・マドリードと対戦。惜しくも敗れたが、その活躍がレアル・マドリードの首脳陣の目に留まる。翌シーズン、アルフレッド・ディ・ステファノがスペイン国籍を取得したことによってレアル・マドリードの外国人枠に空きができ、同クラブへと移籍。デビュー戦でもある10月に行われたFCソショーとの親善試合では、14-1という結果を残した。その後もディ・ステファノらと共に黄金時代を築き上げ、所属年度すべてでチャンピオンズカップを優勝、リーグ優勝を2度経験する。
1958年ジュスト・フォンテーヌらと共に出場したワールドカップ・スウェーデン大会で、フランス代表はペレガリンシャなどを擁するブラジル代表に破れ3位に終わったものの、コパは3得点、最多アシストを記録。同年その活躍が認められバロンドールを受賞した。
1959年にスタッド・ランスに戻り、復帰後初シーズンとなった1959-60シーズンを含む2度リーグ優勝を果たした。コパ自身も1959年のバロンドールでディ・ステファノに次ぐ2位になり、1960年にはフランス年間最優秀選手賞を受賞するなど高い評価を受けた。しかし、1963-64シーズンには17位でリーグを終えてリーグ・ドゥ降格を経験する。1966-67シーズンに再びトップリーグへ昇格し、シーズン終了後に現役を引退した。
1999年ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で91位に、2004年3月にはペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人に選出された。2010年には、ディ・ステファノ、ボビー・チャールトンエウゼビオに次いで4人目となるUEFA会長賞を受賞した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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