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レオナルド・ゴメス(Leonardo Gómez Vélez , 1966年3月2日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(内野手)。~まで中日ドラゴンズに所属した。 == 来歴・人物 == ルイス・エルナエス・ネボネス高からにボルチモア・オリオールズに入団。、メジャー初昇格。にシカゴ・カブスに移籍。 、中日ドラゴンズに入団。勝負強い打撃で主に4番打者として活躍し、1年目から打率.315、31本塁打の好成績を記録した。1999年には36本塁打、109打点で当時の球団外国人選手の最高成績(2006年にタイロン・ウッズが47本塁打、144打点で新記録をマーク)を収めてリーグ優勝に貢献した。特に優勝争いをしていた読売ジャイアンツ戦に強く、36本塁打の内、13本塁打を読売ジャイアンツの投手から放つ活躍をした。 2000年に「家族との時間を大切にしたい」という理由で一時退団した。しかし、翌年の中日は新外国人のティム・アンローやオジー・ティモンズを含め打撃が振るわないことから、2001年シーズン途中に来日して復帰。2002年に引退。現役終盤は足やヒザの炎症に悩まされていたため、再入団後は一塁手での起用も多かった。 現在はボルチモア・オリオールズ傘下マイナー球団でコーチをしている。2010年8月17日オリオールズ対マリナーズ戦を星野仙一が訪問した際、再会を果たす。〔sanspo.com 〕 == プレースタイル == 打席に入る際にブツブツと独り言を呟きつつ、下向きにバットを振って投手が投げるのを待っていた。4番打者ゆえに常に豪快なフルスイングで一発を狙い、転びそうになることもしばしば。空振りをした時にバットを杖のようにして体を支えることがあった。しかしコースはしっかり見極める事ができ、三振は少なめで、NPBでの通算成績は四死球が三振を上回っている。大抵の打者は打った直後にバットを投げ捨てて一塁へ全力疾走するが、ゴメスの場合打ってもバットを強くは投げ捨てず、そっと置くように手から放し、チョコチョコと一塁へ向かって走り出す。そのため打った後のスタートが若干遅めだった。サードの守備では、素手でボールを掴んでそのままファーストに放るというプレーがよくあった。 1999年4月18日、東京ドームの対巨人戦でソロ・2ラン・3ランを放ち、その後さらに満塁の場面で打席が回ってきたため観客が「史上初のサイクルホームランが見られるか」と色めき立ったものの、結局三振に倒れ記録達成はならなかった〔ちなみにこの年本塁打を放ったのはこの日が初めてであった。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レオ・ゴメス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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