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レジェプ・ペケル
メフメット・レジェプ・ペケル(Mehmet Recep Peker, 1889年2月5日‐1950年4月1日)は、トルコの軍人、政治家。1946年から1947年にかけてトルコ共和国首相を務めた。その他共和人民党事務局長や閣僚を歴任した。 == 経歴 == イスタンブル生まれ。陸軍士官学校を卒業後、1907年にオスマン帝国軍事省に入省、伊土戦争やバルカン戦争に従軍した。第一次世界大戦ではバルカン半島戦線やで従軍した。1919年にオスマン帝国軍を離れ、トルコ革命に参加するためアナトリア半島に向かい、少佐として第20軍団に配属された。1920年にトルコ大国民議会事務局に入る。1923年にキュタヒヤ代表として議員となる。この間、大国民議会派の新聞で主筆を務めたりもした。 1924年に内相に就任、1925年から1927年にはイスメト・イノニュ内閣で国防相、1929年には同内閣で国民教育相を務めた。1931年には一党独裁制の与党・共和人民党事務局長に就任する。ケマル・アタテュルク大統領やイノニュ首相に次いで「第三の人物」「実力者」と呼ばれた。1936年のモントルー条約に全権代表として調印したが、おそらくはファシスト政権のイタリアやナチス・ドイツ寄りの政策を主張していたために、この年アタテュルクにより権力の座から遠ざけられた。 第二次世界大戦後の1946年8月7日、イノニュ大統領の指名により首相に就任した。この時期はトルコが一党独裁制から多党制に移行する過渡期で、この年に野党民主党の結成が許可された。首相退任の2年後にイスタンブルで死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レジェプ・ペケル」の詳細全文を読む
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