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ロシア建国一千年祭記念碑像(ロシアけんこくいっせんねんさいきねんひぞう、、ロシア1000年記念碑とも)は、ロシア連邦ノヴゴロドのクレムリン内にある銅像。古来ロシア史の起点とされてきた862年の「ヴァリャーグ招致」伝説〔ヴァリャーグ(ヴァイキング)のリューリクがノヴゴロドに招致された出来事。『原初年代記』862年の項に書かれている。〕から1000年を記念し、1862年ノヴゴロドに建立された。 == 像概要 == 記念碑像建立の計画は1857年に立てられた。そのデザインに関してデザイン・コンペが1859年に開かれ、結果建築家ヴィクトル・ハルトマンと銅像設計者ミハイル・ミケシン組の設計案が採用された。ミケシンのデザインは、ツァーリの権力を象徴する十字を冠した高さ15メートルにもおよぶ壮大な鐘の周りを、ロシア(ルーシ)歴代の為政者、聖職者、軍人、芸術家らが囲むというものであった。像の制作には総勢129名の彫刻家が参加し、ミケシンの友人でもある彫刻家イワン・シュレーダーや19世紀ロシアを代表する彫刻家アレクサンドル・オペクーシンなども制作に携わった。 記念碑像は大きく三つの段に分かれており、ロシア歴代のツァーリや名立たる軍人らの隣にはミハイル・ロモノーソフ、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ブリューロフ、ミハイル・グリンカといったロシア文化に際立った功績をのこした16体を含む、総勢128体の銅像が並んでいるが、イワン雷帝だけは、1570年にノヴゴロドで大虐殺を行ったため像がない。なお像はモスクワの公だけでなく、今日のベラルーシやウクライナにまたがる地域を統治した中世リトアニアのゲディミナスやヴィータウタスの像もある。 像の全高は15.7mで、うち台座部分が約6m、人物銅像群が約3m、十字架部分が約3mで、像の総重量は65.5トンにもなる〔Внешний вид памятника 〕。 記念碑像落成の際には像の数が多すぎるとの批判が数多くなされたが、一方でミケシンのデザインはクレムリンの中世の状況をよく表しており、近くにある11世紀の聖ソフィア大聖堂の壮麗さを際立たせているとする意見もある〔Aleksandr Ignat'evich Semenov. ''Pamiat' 1000 letiu Rossii v Novgorodskom Kremle'' (Novgorod: Gazeta "Novgorodskaia Pravda", 1960).〕。 第二次世界大戦中、ノヴゴロドを制圧したナチス・ドイツは像を解体してドイツへ運ぼうとしたが、1944年に赤軍がノヴゴロドを奪回、像は復元された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロシア建国一千年祭記念碑像」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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