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ロジャー・ジョゼフ・イーバート(Roger Joseph Ebert、1942年6月18日 - 2013年4月4日)は、エミー賞にもノミネートされたアメリカ合衆国の映画評論家、テレビ司会者、作家。新聞、テレビ番組、著作、講演活動や教授職、自身のウェブサイトを通じて多くの人々に映画の観方や受容の仕方を紹介したり知られざる名作を紹介したりするなど、アメリカで最も有名で、信頼される映画評論家である。かつ、新作映画評での手厳しさから、映画関係者には非常に恐れられている。 1967年以来、シカゴ・サンタイムズで映画評を執筆しており、アメリカ内外の200以上の新聞に配信されている。1975年にはこの連載に対し、映画評論家としてはじめてピューリッツァー賞の批評部門を受賞した。また23年間に渡りジーン・シスケル(Gene Siskel、1946年 - 1999年)と共に映画を批評するテレビ番組の司会を務め、シスケルの死後はリチャード・ローパーとコンビを組んで司会を続けている。著書は、毎年発行している年鑑も含め15冊以上を数えている。1999年からはイリノイ州シャンペーンで毎年映画祭も主催している。 2005年6月には映画評論家としてはじめてハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星にその名を刻まれている。またコロラド大学、アメリカ映画協会、シカゴ美術館附属美術大学から名誉学位を受けている。1995年2月には、彼らの番組を収録しているシカゴのCBSスタジオ前のエリー通りの一部が「シスケル&イーバート通り」と命名された。 == 学生時代 == イーバートはイリノイ州アーバナで生まれ、少年時代にSF同人誌へのコメント投稿から物書き人生をスタートさせた。アーバナ高校の学生時代、隣接するシャンペーン市のニューズ・ガゼット紙でスポーツ・ライターになったことでジャーナリズムに興味を持ち、上級生になると学校新聞の副編集長となった。1958年、イーバートはイリノイ州高校スピーチ連盟選手権で、ラジオのニュース番組と同様の原稿を読んで競うラジオ・スピーチ部門において優勝した。 イーバートはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に入り、学生新聞ザ・デイリー・アライナイで編集長を務めた。彼の最初の映画評は、1961年10月のザ・デイリー・アライナイに掲載した『甘い生活』の批評だった。 彼は国際ロータリーの奨学金制度を受けてケープタウン大学大学院で英語を研究し、シカゴ大学の英語学の博士課程に在籍中、シカゴ・サンタイムズから同紙の映画評論家になるよう勧誘された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・イーバート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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