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ロジャー・ウィッカー : ウィキペディア日本語版
ロジャー・ウィッカー

ロジャー・フレデリック・ウィッカーRoger Frederick Wicker1951年7月5日 - )は、アメリカ合衆国政治家、元軍人ミシシッピ州ポントトック出身。
ミシシッピ州議会上院議員、連邦下院議員(ミシシッピ州第1区選出)を経て、現在は連邦上院議員を務める。所属政党は共和党で、宗教南部バプテストである。ゲイル夫人との間に3人の子供がいる。
== 初期の経歴 ==
1951年7月5日、ミシシッピ州テューペロでフレッド・ウィッカー(Fred Wicker)とワードナ・ウィッカー(Wordna Wicker)夫妻の間に生まれ、その後ポントトックで少年時代を過ごす〔ウィッカーの生まれた場所については表記が分かれている。ウィッカー本人のサイトに掲載されている経歴 では“A native of Pontotoc”(ポントトックの生まれ<出身>)という表記があり、連邦議会が運営する上下両院議員の経歴紹介サイトのページ でも“born in Pontotoc, Pontotoc County”(ポントトック郡ポントトックの生まれ)とされている。その一方で、ワシントン・ポスト紙が運営する政界の公人の経歴を紹介するサイト“whorunsgov.com”の経歴紹介ページ では、“Wicker was born in Tupelo and grew up in Pontotoc”(ウィッカーはテューペロで生まれ、ポントトックで育った)と表記されている。〕。父のフレッドは巡回裁判所判事などを務めた人物で〔ウィッカー本人の公式サイトにある経歴紹介ページ 〕、当時の南部人の多くがそうであったように、保守的な民主党員だったという〔ワシントン・ポスト紙が運営する政界の公人の経歴を紹介するサイト“whorunsgov.com”の経歴紹介ページ 〕。ウィッカーも16歳の時、地元ミシシッピ州選出で後に自身が後任を務めることになるジェイミー・ウィッテン下院議員(民主党)のペイジを務めるなど民主党との関わりが深かったが、現在まで所属している共和党に関心を持ったのは高校時代のことだという〔。
地元のポントトック公立高校1969年に卒業後、ミシシッピ大学に入学する〔連邦議会が運営する上下両院議員の経歴紹介サイトのページ 〕。在学中は勉学に加え、学生会の会長を務めるなど勉学以外の活動にも携わった。1973年政治学ジャーナリズム学位を得て大学を卒業すると〔アメリカのNGO「プロジェクト・ヴォート・スマート」(Project Vote Smart)の運営サイトで紹介されているウィッカーの経歴 「プロジェクト・ヴォート・スマート」は、1992年に政治家でもあったリチャード・キンボールによって立ち上げられたNGOで、公職立候補者や当選者の経歴や議会での投票行動の履歴など、有権者が投票するにあたって必要とする情報を集めて公表している組織である。〕、その後はさらに同大学のロースクールに進学、法務博士号を得て1975年に卒業する。
この後、進学に予備役将校訓練課程(ROTC)を利用していたことからいったん軍務に就き、空軍法務官(Judge Advocate)として勤務、1980年まで現役で任務にあたる〔〔。その後は予備役となるが、引き続き2004年まで籍を置いていた(退役時の階級中佐)〔〔。
軍務を退いた後は政治の世界に一時身を投じる。1980年から1982年まで、連邦議会下院の議事規則委員会(House Committee on Rules)に委員会スタッフとして勤務し、同郷のトレント・ロット下院議員(後に上院議員)付きのスタッフとなる〔〔〔〔委員会スタッフは各議員が事務所で雇っている議員スタッフとは異なり、議会の各委員会が委員会の名において雇用している専任スタッフのことである。委員会スタッフについては、「アメリカ連邦議会上院の権限および議事運営・立法補佐機構 」(松橋和夫著・国立国会図書館レファレンスにて公開)や「米国の連邦議員スタッフ及び連邦議会委員会スタッフ制度 」(世界平和研究所主任研究員・清井美紀恵著)に詳しいので、それらの資料を参照されたい。〕。1982年に委員会スタッフを辞した後は、故郷のミシシッピ州に戻り弁護士として活動〔、1984年から1987年までの4年間は公選弁護人を務めたほか〔〔、1986年から1987年までの2年間はテューペロ市の自治体裁判所(Municipal Court)で判事代理(judge pro tempore)も務めている〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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