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ロジャー・コナー(Roger Connor、1857年7月1日 - 1931年1月4日) は、19世紀のアメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは一塁手。コネチカット州生まれ。左投げ左打ち。飛ぶボールが採用され、ベーブ・ルースが本塁打を量産する1920年まで、通算本塁打数の最多記録をもっていた。 == 経歴 == 1880年にトロージャンズと契約してメジャーリーグにデビュー。6フィート3インチ(190cm) 、220ポンド(99.8kg) という大柄な体格ながら守備・走塁は俊敏だった。1年目から打率.332、47打点とリーグ3位の成績をあげる。 トロージャンズ破綻後、1883年にニューヨーク・ゴサムズに移籍する。1885年にはリーグ最多安打と同時にリーグの首位打者(.371)になった。所属していたゴサムズはコナーの在籍中にチーム名を『ジャイアンツ』(=巨人)に変更しているが、その巨人とはコナーのことを指すという説が今でもあるほどである。コナーはまた、ジャイアンツの本拠地であったポロ・グラウンズで、最初に柵超えの本塁打を放った選手としても知られている。 以後1889年には130打点で打点王、翌1890年にはリーグ最多本塁打をマークした。個々の打撃成績においてリーグトップになる回数は少なかったものの、各打撃部門では常にリーグの上位の成績をあげていた。本塁打は、毎年のリーグ最多本塁打数が20本に満たない当時で、二桁本塁打を放ったシーズンが6度に及ぶ。 1894年にセントルイス・ブラウンズに移籍し、1897年に現役を引退。通算本塁打数(138本) は、当時のメジャーリーグ最多本塁打記録であった。引退後は故郷へ戻り、いくつかのマイナーリーグ球団を運営していた。1931年、生まれ故郷のコネチカット州ウォーターベリーで死去。 1976年、ベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・コナー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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