|
ロジャー・シャーマン(Roger Sherman、1721年4月30日-1793年7月23日)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州出身で後にコネチカット植民地の弁護士、政治家である。コネチカットのニューヘイブン初代市長となり、アメリカ独立宣言を起草した5人委員会の一人となった。新生なったアメリカ合衆国の下院および上院議員も務めた。 シャーマンはアメリカ合衆国初期の重要な4つの文書、同盟規約、アメリカ独立宣言、連合規約およびアメリカ合衆国憲法に全て署名した唯一の人物である〔 Roger Sherman Architect of the Capitol. Retrieved February 14, 2007. 〕。トマス・ジェファーソンはかつてシャーマンについて、「その人生で愚かなことを一度も話さなかった男がコネチカットのシャーマン氏だ」と言った。 シャーマンはジョン・アダムズらと共に、アメリカ合衆国で最も強力で子孫の多い政治家一家の1つであるボールドウィン・ホアー&シャーマン家の先祖でもある。 == 初期の経歴 == シャーマンはマサチューセッツのニュートンで生まれた。3歳の時に、家族はボストンの南17マイル (27 km)にあるストートンに転居した。シャーマンの教育は小学校止まりであり、若いときは靴のデザイナーをしていたが、ものを学ぶ能力に恵まれており、父親やシャーマンを庇護したハーバード大学出のサミュエル・ダンバー牧師の所有する良質な蔵書を利用できた。 1743年、父が死に、母や兄弟と共にコネチカットのニューミルフォードに転居し、そこで兄弟との共同経営で町では初めての店を開いた。シャーマンは直ぐに市民や宗教的なことに顔を突っ込み、急速に町の指導的な市民になって、結果的にニューミルフォードの町の事務官になった。数学的な技能もあったので、1745年にはニューヘイブン郡の郡測量士になり、1748年の年鑑には天文学的計算も加えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・シャーマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|