|
ロジャー・テイラー(Roger Taylor、1949年7月26日 - )は、イギリスのミュージシャン。ロックバンド、クイーンのドラマーである。身長179cm。 1973年、アルバム『戦慄の王女』でデビュー。クイーンではドラムスのほかにコーラスや、一部の曲でボーカルも担当しており、ベースやギター、キーボードなども弾くことができるマルチプレイヤーでもある。クイーンの「レディオ・ガ・ガ」、「カインド・オブ・マジック」、「ヘヴン・フォー・エヴリワン」などのヒット曲を作詞作曲している。 クイーンとは別に、ソロ活動やザ・クロスというバンドを結成しての活動も行っていた。フレディの死後もクイーン+ポール・ロジャースとして活躍するなど、現役ミュージシャンとして活動を続けている。 「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において74位。 == 経歴 == === 幼少期からスマイル結成まで === 1949年7月26日にノーフォークで生まれる。数年後にはコーンウォールに引っ越す。8歳のときには、ウクレレを独学で演奏するようになる。またこの頃から、学校で当時流行していたスキッフルを友人たちと演奏していたという。1960年に、彼は音楽奨学金でトルロ大聖堂学校に加わり、聖歌隊として結婚式やクリスマスなどのあらゆるイベントで歌うことになる。 また当初はギターを演奏していたが、徐々にその関心はドラムスの方へと移っていく。1965年には地元のシンガーのバックバンド「ジョニー・クエイル&ザ・リアクションズ」というバンドに加入。その後「ザ・リアクションズ」単独としても活動し、ロジャーはボーカル兼ドラムスとしてローリング・ストーンズやボブ・ディラン、ジェームズ・ブラウン、オーティス・レディングなどをカバーしていた。後にロジャーがロンドン・ホスピタル・メディカル・カレッジに進学したため、リアクションズは自然消滅。しかしロジャーは「一生分の歯を見た」、「解剖授業が気持ち悪い」などという理由で、2年後にノース・ロンドン工芸大学に入学し直し、生物学を専攻、最終的には学科の理学士号を取得した。そしてこの頃に出会ったのが、1968年にブライアン・メイが出した「ミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)やジンジャー・ベイカー(クリーム)のようなドラマーを求む」というメンバー募集の広告だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・テイラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|