|
ロジャー・ヤングのバラード(The Ballad of Rodger Young)は、アメリカの軍歌。フランク・レッサーによって第二次世界大戦末期の1945年3月に発表された。1943年7月31日、日本軍の機銃陣地を攻撃する際に戦死したロジャー・ウィルトン・ヤング一等兵を題材としており、歌詞の内容はヤングが死後追贈された名誉勲章の勲記に沿ったものである。 ==作曲の経緯== レッサーは陸軍放送局に所属する一等兵だった頃に『ロジャー・ヤングのバラード』を作詞した。 陸軍放送局ではハリウッドのタレントやスタッフ、そして専属のオーケストラを用いて1日2回の志願兵募集番組を作成・放送しており〔Riis, p. 7.〕、レッサーの任務は募集歌の作詞・作曲であった.。 レッサーがどのような経緯でこの歌を作成したのかは明らかになっていない〔Jones (2006), p. 158, notes that it is "shrouded in ... legends" who asked Loesser to write it.〕。いくつかの文献では、彼の娘の言うところの「何らか『歩兵の歌』に相応しいもの」を陸軍が要求した為に作曲にあたったとされているが、一方でレッサーの友人でもある歩兵科広報官E・J・カーン・ジュニアからの要求が作曲の発端とする文献もある〔Jones (2006), p. 158〕〔Marmorstein, p.181.〕。 いずれにせよ歩兵に関する歌を作る事になったレッサーは、名誉勲章受賞者を題材にする事に決め、受章者一覧を取り寄せている〔Loesser, p. 51.〕。 多くの「やたら扱いにくい"るつぼ"の名前」を除外した後〔、彼は「実にWASPらしい名前」、すなわち「ロジャー・ウィルトン・ヤング」の名を発見した。しかし名前で選んだという理由は政治的にも非常に聞こえが悪いとされ、陸軍とレッサーは「友人のハーモニカ奏者ラリー・アドラーからヤングに関する物語を聞かされた」という架空の作曲理由を設ける事で同意した〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジャー・ヤングのバラード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|