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ロジータは日本の元競走馬。現役時代には牝馬でありながら南関東の三冠競走を制した。半妹に東京3歳優駿牝馬を優勝したテーケーレディー、伯母に函館3歳ステークスやシンザン記念を優勝したミルフォードスルー(ランフォザドリームの母)がいる。 生まれ故郷の牧場の片隅に咲いていた百合の品種名「ロジータ」にその名は由来する。ちなみにロジータとはラテン語で「谷間に咲く百合」という意味でもある。 == 戦績 == 主戦騎手は野崎武司で、15戦すべてに騎乗している。 1988年に3歳(当時)でデビューし、この年は4戦2勝。翌1989年、年明けからニューイヤーカップ・京浜盃・桜花賞と重賞を3連勝し、陣営は牝馬路線ではなく、牡馬の三冠路線に駒を進めることとした。ロジータはその期待に応えて羽田盃、東京ダービーをいずれも楽勝して二冠を達成。初の古馬との対戦となった報知オールスターカップでは2着に甘んずるものの、この時点で南関東最強クラスの1頭と数えられるようになった。 秋シーズンは初戦に当時の数少ない中央・地方交流競走であるオールカマーを選び、5着と敗れる〔地方馬が軒並み2桁順位の下位に甘んずる中、勝馬掲示板に食い込む最先着であった。なお、このレースを勝った中央馬も、元々が地方競馬出身であるオグリキャップであり、地方競馬が存在感を見せたレース結果であった。〕ものの、当時の規程により第9回ジャパンカップの出走権を獲得。地元に戻って東京王冠賞を勝って南関東三冠を達成。ジャパンカップではホーリックスの15着と大敗するが、次走東京大賞典で並み居る古馬を相手に馬なりで圧勝し〔2着馬は岩手競馬所属で初のダービーグランプリを優勝し、東京大賞典出走のため一時的に南関東に移籍していたスイフトセイダイだった。〕、南関東最強と呼ばれるようになる。 この時点でもう実力は出し尽くしたと判断されたのかまもなく引退が決定され、地元川崎の川崎記念を引退レースに選ぶ。川崎記念では単勝1.0倍、2番人気以下は全て万馬券と言う圧倒的な支持を受け、当時の川崎競馬場のレコードとなる超満員の観客が見守る中を8馬身差の圧勝。引退の花道を飾った。この入場人員のレコードは、その後ホクトベガの日本ラストランとなる川崎記念まで破られる事が無かった。川崎競馬はロジータの功績をたたえ、牝馬限定レースのロジータ記念を新設した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロジータ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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