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ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ : ウィキペディア日本語版
ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ
ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ(、1070年 - 1093年)はキエフ大公フセヴォロドの末の息子(ウラジーミル・モノマフの弟)である。ペレヤスラヴリ公1078年 - 1093年。
1078年、おじのキエフ大公・イジャスラフチェルニゴフ付近の戦い(ru)で戦死すると、父がキエフ大公位を継いだ。兄のモノマフはチェルニゴフ公となり、ロスチスラフは兄と共にペレヤスラヴリ公国領を統治した。また、ポロヴェツ族との戦いに参加した。
父のフセヴォロドは晩年病に倒れるが、その時にポロヴェツ族による新たな襲撃がはじまった。1093年、フセヴォロドが病死するとキエフ大公位はトゥーロフ公スヴャトポルクのものとなった。ロスチスラフはスヴャトポルク、モノマフらと共にステューフナ川の戦い(ru)に参加するがポロヴェツ族に敗北し、退却の際に溺死した。
== 参考文献 ==

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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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