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ロスチスラフ・ヴォロダレヴィチ : ウィキペディア日本語版
ロスチスラフ・ヴォロダレヴィチ
ロスチスラフ・ヴォロダレヴィチ(、? - 1128年)はペレムィシュリ公ヴォロダリ・ロスチスラヴィチの長男である。ズヴェニゴロド公:1092年 - 1124年、ペレムィシュリ公1124年 - 1128年。
1122年、父と共に人質としてクラクフに抑留され、(ru)と引き換えに解放された。1124年に父が死ぬと、長子として父のペレムィシュリ公位を継ぎ、それまで有していたズヴェニゴロド公位は弟のウラジーミルへと渡った。(なお同時期に、テレボヴリ公ガーリチ公従兄弟ロスチスラフイヴァン兄弟が継いでいた。)また、この年にペレムィシュリポーランド王国軍の攻撃を受け、防衛戦が行われた。続く1125年 - 1126年には弟のウラジーミルによってペレムィシュリが攻撃された。ロスチスラフが押し返し、逆にウラジーミル領のズヴェニゴロドを包囲するが、ウラジーミル側についたハンガリー王国軍の援軍により、撤退を余儀なくされた。なおこの内紛においては、ロスチスラフは従兄弟のテレボヴリ公ロスチスラフ、ガーリチ公イヴァン兄弟や、キエフ大公ムスチスラフの支援を受けていた。ロスチスラフの死後、ペレムィシュリ公位にはウラジーミルが就いた。一方、ズヴェニゴロド公位はロスチスラフの子のイヴァンに譲られた。
==脚注==
注釈
出典


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロスチスラフ・ヴォロダレヴィチ」の詳細全文を読む



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