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ロッキー・コラビト : ウィキペディア日本語版
ロッキー・コラビト

ロッキー・コラビトRocco Domenico Colavito:ロッコ・ドメニコ・コラビト 1933年8月10日 - )は、メジャーリーグベースボールの右投右打の外野手アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。
==略歴==
1951年のシーズン前にクリーブランド・インディアンスと契約。1955年9月10日に、インディアンスでメジャーデビューを果たした。1955年は、5試合に出場して打率.444という数字を記録した。1956年は、メジャー2年目にして21本塁打を記録。ルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルこそ逃したものの、2位に付けた(1位は盗塁王のタイトルを獲得したシカゴ・ホワイトソックスルイス・アパリシオ)。続く1957年は規定打席に到達。1958年は更に勢いを伸ばし、打率.303、41本塁打、113打点という素晴らしい成績を記録。MVP投票で3位に付けた(1位は打率.286、35本塁打、122打点を記録したボストン・レッドソックスジャッキー・ジェンセン)。1959年6月10日には4打席連続本塁打を記録〔当時では史上3人目の記録だった(コラビト以前に達成していた選手はルー・ゲーリッグボビー・ルー。後にマイク・キャメロン2002年に、カルロス・デルガド2003年にそれぞれ記録している。また、この5選手は延長戦にはなっていない)。〕。この年は1958年並みの成績を残し、自身初の本塁打王を獲得。MVP投票でも4位に入っている(1位は打率.306、2本塁打、70打点を記録したホワイトソックスのネリー・フォックス。打撃成績を見るとMVPに相応しいと感じないが、1959年のフォックスは624打数でわずか13三振という少なさである)。
1960年4月17日デトロイト・タイガースにトレードで移籍(交換相手は首位打者を獲得した経験のあるハービー・クーン)〔コラビトが移籍した1960年からの34年間、インディアンスが上位争いから脱落しているが、クリーブランドではこれを「ロッキー・コラビトの呪い」として語り継がれている。〕。移籍後のタイガースでは、打率.249ながら35本塁打を放ち、存在をアピールした。1961年は打率も.290に上昇。いずれも自己最高となる45本塁打、140打点を記録。しかしながら、MVP投票では8位止まりだった(1位は打率.269、61本塁打、142打点を記録したニューヨーク・ヤンキースロジャー・マリス)。
その後、1963年までタイガースで活躍したコラビトは、1963年11月18日ボブ・アンダーソン、$50000と共にカンザスシティ・アスレチックスへと移籍した(ジェリー・ランプエド・ラコーデーブ・ウィッカーシャムがタイガースに移籍している)。1964年も、例年通りの活躍を見せたコラビトは、1965年1月20日に大型トレードで古巣のインディアンスに復帰(ホワイトソックスがカム・カーレオンをインディアンスに放出。ホワイトソックスがアスレチックスからジム・ランディスマイク・ハーシュバーガーを指名し、獲得。インディアンスがトミー・ジョントミー・エイジージョニー・ロマーノをホワイトソックスに放出。ホワイトソックスがフレッド・タルボットをアスレチックスに放出。)。復帰1年目の1965年は26本塁打ながら、108打点を記録して自身初の打点王を獲得した。翌1966年は30本塁打を記録するも、打率が急落。1967年も63試合で打率.241、6本塁打、21打点と不振に苦しんだコラビトはシーズン途中にホワイトソックスにトレードされた(ホワイトソックスがマーブ・ステイールをホワイトソックスに放出。ホワイトソックスがジム・キングを指名し、獲得)。しかし、移籍後も打率.211と苦しみ、シーズン通算123試合に出場したにも関わらず打率.231、8本塁打、50打点という散々なシーズンとなった。1968年3月26日に金銭と引き換えにロサンゼルス・ドジャースに移籍。しかし、1967年に引き続き、打率が.240さえ超えない状況が続いた。7月11日にドジャースをクビになったコラビトは、7月15日に最後の望みを託してヤンキースと契約し、復活を試みた。しかし、移籍前よりは良かったものの、目を覆いたくなるような不振から抜け出す事は出来ず、9月30日にヤンキースを解雇されてしまい、キャリアを終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロッキー・コラビト」の詳細全文を読む



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