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ロックンロール・サーカス(''The Rolling Stones Rock and Roll Circus'')は、ローリング・ストーンズが1968年に製作した映像作品である。監督は、ビートルズのドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』等で知られるマイケル・リンゼイ=ホッグ。ジョン・レノン、エリック・クラプトン、ザ・フーなど、多くのビッグネームが参加しながら、様々な要因により、その後30年近くにわたり封印され続け、伝説的な作品となっていた。 == 概要 == 「ロックンロールとサーカスの融合」をコンセプトに、ローリング・ストーンズが企画・製作した作品。監督を務めたマイケル・リンゼイ=ホッグは、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のプロモーション・ビデオでディレクターを担当したことがあった。そのリンゼイ=ホッグによると、ミック・ジャガーから「テレビの企画をやってみないか?」と話を持ちかけられた事がこの企画の発端であるという〔2004年版DVD収録のマイケル・リンゼイ=ホッグ及びアンソニー・B・リッチモンドによるオーディオコメンタリーより。〕。まず最初に「ロックンロール・サーカス」という言葉だけが浮かび、そこからいろんなアイディアを練っていったという〔。 収録は、1968年12月10日から12日にかけて、ウェンブリーにあるスタジオにて行われた。製作に当たっては、ストーンズが自ら50000ポンドを出資している。11月23日に出された最初のプレスリリースでは、出演者にジェスロ・タル、トラフィック、ドクター・ジョンがいること、1月1日に放送されること、3つのテレビ局がすでに放映権を獲得していることが発表された。 ゲストにはジョン・レノン、エリック・クラプトン、ザ・フー、当時ジャガーの恋人だったマリアンヌ・フェイスフルなど、当時隆盛を極めていたアーティスト達が招待された。レノンはこのイベントのために、クラプトン、ミッチ・ミッチェル、そしてキース・リチャーズと共に、この日限りのバンド「ザ・ダーティー・マック」を結成した。リンゼイ=ホッグは無名の新人も参加させたいと考え〔、当時デビューしたばかりのジェスロ・タルを出演させた。またロック界以外からも、バイオリニストのイヴリー・ギトリス、ピアニストのジュリアス・カッチェンが招待された。 また、このイベントが結果的にブライアン・ジョーンズの最後のステージとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロックンロール・サーカス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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