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ロック・ステディ : ウィキペディア日本語版
ロックステディ

ロックステディ(rocksteady)は1966年から1968年の間にジャマイカで流行したポピュラー音楽の一種。
==概要==

=== 音楽ビジネスの成熟期 ===
ロックステディの短い時代は、ジャマイカの音楽産業にとっても飛躍的な発展を遂げた時代だった。スカ時代のコクソン・ドッドデューク・リードの二大サウンド・システム/レーベルが、より明確に音楽ビジネスを行うようになった。
プロデューサーのデューク・リードは、スカの時代にはライバルのコクソン・ドッドがスカタライツをプロデュースするなどしてスタジオ・ワンに大きく水を空けられていたが、ロックステディの時代の到来をチャンスととらえた。彼のトレジャー・アイルレーベルから、アルトン・エリスの「ガール・アイヴ・ガット・ア・デイト」をリリースしヒットした。同様にテクニークス、シルバートーンズ、ジャマイカンズパラゴンズといったバンド録音した。これらのバンドとのデューク・リードの仕事は、ロックステディの歌のサウンドを確立するのを助けた。デルロイ・ウィルソンボブ・アンディケン・ブース、フィリス・ディロン(ロックステディの女王として知られる)などの注目に値するソロアーティストたちを生み出した。
デューク・リードによるミュージシャンの引き抜きによってコクソン・ドッドは一時的に凋落する。しかし、キーボード奏者ジャッキー・ミットゥを中心にしたハウスバンドの演奏で、アルトン・エリス(デューク・リード側から再び引き抜く)、ケン・ブース、デルロイ・ウィルソンらをレコーディングする。その後、一躍スターとなったヘプトーンズもコクソンの下でデビューし、盛り返す。ヘプトーンズの登場によって、再び二大サウンド・システム/レーベルは均衡を保たれた。
アルトン・エリスは彼のヒット曲「ガール・アイヴ・ガット・ア・デイト」によってロックステディの父と一般に言われているが、最初のロックステディのシングルの他の候補としては、ホープトン・ルイスの「テイク・イット・イージー」、デリック・モーガンの「タファー・ザン・タフ」、ロイ・シャーリーの「ホールド・デム」が含まれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロックステディ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rocksteady 」があります。



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