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ロバートザデヴィル : ウィキペディア日本語版
ロバートザデヴィル

ロバートザデヴィルRobert the Devil,1877-1889)はイギリスのサラブレッドである。19世紀の専門家による投票では、19世紀の名馬ベスト10位に選出された。
特に3歳時(1880年)には、当時ヨーロッパ最高賞金のパリ大賞典をはじめ、イギリスのセントレジャーステークスロシア皇太子ハンデキャップなどの高額賞金競走を勝ち、この年のヨーロッパの最良の3歳牡馬となった。〔
ロバートザデヴィルとベンドアは「宿敵〔」としてよく知られており、5度の対戦でロバートザデヴィルが3回勝っている。
なお、公式記録ではロバートザデヴィルはダービーでベンドアに敗れて2着に終わったことになっているが、後世の研究でこのときベンドアには重大な不正があったことが確認されており、ロバートザデヴィルは本来は優勝馬となるべきであった〔。
種牡馬としてはそれほど成功しなかった〔。
==ベンドアと好対照の出自==
ロバートザデヴィルとベンドアの父系は、いずれもストックウェル(Stockwell)に行き着く。ストックウェルは1860年代にイギリスの種牡馬チャンピオンに7回輝き、その仔ブレアーアソール(Blair Athol)も1870年代に4回種牡馬チャンピオンになっている。ベンドア英ダービードンカスターの仔であり、ストックウェルの孫にあたる。〔
一方、ロバートザデヴィルはストックウェルの曾孫にあたるが、こうした華々しい系統からは外れていた。祖父のザデューク(The Duke)はグッドウッドカップに勝ち、アイルランドのダービー勝馬を2頭出していたが、当時のアイルランドはイギリスの一地方に過ぎず、本場で通用しない二流馬が出るような田舎競馬に過ぎなかった。父馬のバートラム(Bertram)も1872年にキングズスタンドステークスを勝った程度の短距離馬だった。〔
ベンドアを生産したのは、最高格の貴族であるウェストミンスター公爵で、その母馬は三冠馬ロードリヨン(Lord Lyon)の叔母にあたる血統、ということになっている(詳細は後述)。
一方、ロバートザデヴィルを生産したのはチャールズ・ブリューワー(Charles Brewer)という賭博師だった〔〔。母馬はバートラムを交配される前年は死産で〔、「キャストオフ(Cast Off=「打ち棄てられた」)」という名前の通り〔、ケンブリッジシャーのソヘム(Soham)近くの湿地帯で野生馬のようにほとんど放置されて飼われていた。〔〔
ロバートザデヴィルは、体高16.2ハンド(約168センチメートル〔体高は地面から馬の肩(おおむね首の付根にあたる)までの高さを表す。「16.2ハンド」は「16ハンド2インチ」を意味し、約167.64cmに相当する。〕)と大柄な鹿毛馬に成長し、激しい気性の持ち主〔だった〔。ロバートザデヴィルを描いた絵をよく見ると、前へ出ようとする気性が強すぎる馬を抑えこむために用いる大勒(:en:Double bridle)を装着していることがわかる〔。19世紀にはしばしば用いられた頭絡だが、現代の平地競馬ではほとんど見られない〔。
馬主のブリューワーは、ロバートザデヴィルをニューマーケットのアッパーステーション・ロードに厩舎を開いていた〔チャールズ・ブラントン(Charles Blanton)調教師に預けた〔。出走させる際の登録上はブリューワーの名義だったが、実際にはロバートザデヴィルの権利の半分をブラントン調教師に売り、共有馬となっていた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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