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ロバート・D・エルドリッヂ : ウィキペディア日本語版
ロバート・D・エルドリッヂ[ろばーとでぃーえるどりっぢ]

ロバート・D・エルドリッヂ(、 1968年1月23日〔 - )は、アメリカ合衆国政治学者、元在沖縄米軍海兵隊外交政策部次長。
== 来歴 ==
ニュージャージー州生まれ。父親は大東亜戦争時に沖縄戦を戦ったと明かしている〔オキナワ論、11頁〕。1986年9月、ヴァージニア州国際関係学部に進む。
在学時、寮の同部屋だった大阪府出身の日本人と交流し刺激を受け〔オキナワ論、12頁〕、1989年1月から7月まで、フランスのに留学。また、1989年8月から12月迄ワシントンD.C.でのインターンシップを経験する〔オキナワ論、13頁、14頁〕。
1990年5月、同大学を卒業(名誉優等卒・学士)し、同年の夏、JETプログラム四期生として来日。兵庫県多可郡中町(現:多可町)の公立中学校にて英語教師として派遣され、二期2年務める〔オキナワ論、16頁〕。歴史の研究をすべく、世話になっていた神戸新聞編集幹部の人間に相談し、指導教諭である五百籏頭真を紹介〔オキナワ論、20頁〕され、1994年4月、神戸大学大学院 法学研究科博士課程前期課程に入学、1996年3月、修士課程修了。博士課程に進む予定では無かったが、阪神・淡路大震災の経験から、1996年4月、博士課程に進み、1999年3月、博士課程(日本政治外交史)修了。この頃に、「昭和天皇と沖縄 ― 『天皇メッセージの再考』をめぐる吉田・ダレスの『交渉』 ―」を寄稿し、第5回 読売論壇新人賞最優秀作を受賞。
1999年4月、財団法人サントリー文化財団のフェロー(特別研究員)を務め、奄美大島返還〔奄美返還と日米関係〕、硫黄島返還〔硫黄島と沖縄返還〕の論文を発表〔オキナワ論、36頁〕。
2000年10月から、平和・安全保障研究所の特別研究員を務めていた〔2001年6月末まで勤務〕際、ハワイアメリカ太平洋軍アメリカ海兵隊司令官のスタッフと意見交換する中で、政策提言する機会を得る様になった。2001年7月から大阪大学大学院・国際公共政策研究科の助教授を務める。
2003年、「沖縄問題の起源 ― 戦後日米関係における沖縄 1945 - 1952」を発表し、第15回 アジア・太平洋賞の特別賞、第25回サントリー学芸賞・思想歴史部門を受賞。
2004年9月、太平洋軍司令部客員研究員、政治顧問に就任しハワイへ移住〔オキナワ論、47頁〕。2005年8月に退任し、大阪大学に戻る。
客員研究員時代に辺野古移設が棚上げ状態になっていた時に、SACOでの経緯を検証、総括、整理を行った結果、勝連半島沖に人工島を作り、基地機能を集約した「勝連構想」を提案。2009年2月、政権交代前に鳩山由紀夫当時:民主党幹事長、沖縄県選出議員に政策提言を行っていた〔但し、選挙中に掲げていた基地問題の公約が「最低でも県外移設」と掲げていて、非現実として驚いていた〕〔オキナワ論、49頁〕。
2009年10月、在日米軍沖縄海兵隊司令部の政治顧問に就任、長年過ごした京阪神から沖縄県へ移住。
2015年4月時点、法政大学沖縄文化研究所国内研究員及び沖縄国際大学沖縄法制研究所の特別研究員として、その後に、日本文化チャンネル桜 沖縄支局のキャスターが代表理事を務める、沖縄国際交流政策研究所が立上り、主任研究員となり研究を続けている。また、後述の事件以降、メディアへ出演し、発信する機会も増やしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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