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トライボロー橋 (Triborough Bridge)、2008年よりの正式名称ロバート・F・ケネディ橋 (Robert F. Kennedy Bridge) または時にRFKトライボロー橋 (RFK Triborough Bridge) と呼ばれる橋は、アメリカ合衆国ニューヨーク市の三つの行政区にまたがって架かる三つの橋の複合建造物である。州間高速道路278号線 (en) およびニューヨーク州道900G号線がこの橋の上を走っている。ハーレム川、ブロンクス・キル (en)、およびヘル・ゲート (en) をまたいで架かり、ニューヨーク市のマンハッタン区、クイーンズ区、およびブロンクス区をつないでいる。途中、ランドールズ島とワーズ島(かつては二つの島だったが現在は埋め立てられて一つの島)を通る。 この橋はメトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティの関連会社MTAブリッジズ・アンド・トンネルス (en) によって所有・運営されている。 == 歴史 == マンハッタン、クイーンズ、そしてブロンクスを結ぶ橋を建設する計画はニューヨーク市工場および構造物局 (New York City Department of Plant and Structures) の技術者:en:Edward A. Byrneによって1916年に最初に発表された。そのような橋の複合構造物の建設は長らく地方当局によって推奨されてきたが、1925年になってやっとニューヨーク市が調査、試験穿孔(ボーリング)、および建設計画のための予算を支出し、プロジェクトの資金調達が実現した。 建設工事は1929年のブラック・フライデーの日に始まったが、プロジェクトの状況はすぐに悪化した。:en:Othmar Ammannは元々の二重デッキの道路を一重へと変更することで、より軽い構造が求められ、結果的に$10ミリオンの節約になることを提案した。1930年代初頭にロバート・モーゼス (en) によってニューディール政策の資金を用いることで再びこのプロジェクトを蘇らせることができた。彼はこのプロジェクトの資金繰り、建設、そして運用のためにトライボロー・ブリッジ・オーソリティ (en) を設立した。こうして、この橋は1936年7月11日に開業した。 $60ミリオン以上の総建設費はフーバーダムよりも高額で、大恐慌中の公共事業で最大のものの一つである。建設のためのコンクリートはメイン州からミシシッピ州の工場までのものが使われた。コンクリートを注入する型枠を作るために、西海岸のある森が丸々一つ伐採され、その木が用いられた。 1986年、米国土木学会はトライボロー橋を全米土木工学歴史建造物 (en) に登録した。1996年8月21日に初めて、ランドールズ島の料金所の通過の際に:en:E-ZPassが使えるようになった。 かつて、この橋の道路標識は"In event of attack, drive off bridge"(衝突の際は橋から落下することになる)と記しており、''New York Times''のコラムニスト:en:William Safireは"幾分ぞっとする表記であり、何百万のドライバーがこれを見て引きつった笑いをしたことだろう"と書いた。 2008年11月19日、ケネディ家の要請を受けて、トライボロー橋は公式にロバート・F・ケネディ橋という名称に変更された。1968年の大統領候補指名選の最中に起こった、元アメリカ合衆国司法長官であり、当時のニューヨーク州アメリカ合衆国上院の暗殺から40年後のことであった。多くの交通情報やニュースのレポーターは一般的にこの橋を"RFK Triborough Bridge"と呼び、この橋の利用者や周辺住民が長らく慣れ親しんだ元々の名前を強調するようになっている。 2010年5月5日、ニューヨーク市警察はこの橋を閉鎖し、爆弾処理班がドライバーが逃走し橋上に放置されたU-Haulのトラックの調査を行った。この調査はタイムズ・スクエアの爆弾テロ未遂の数日後に起こった。すぐにNYPDはこの車両による危険性はないと判断し、橋の交通の再開を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トライボロー橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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