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ロバート・ビュートー(Robert Joseph Charles Butow、1924年3月19日- )は、アメリカ合衆国の歴史学者、ワシントン大学名誉教授。しばしばビュートウとも訳される。 ==略歴・人物== カリフォルニア州サンマテオ出身。スタンフォード大学に進学したが、太平洋戦争中の1944年よりアメリカ陸軍情報部外国語学校で日本語を学び〔陸軍情報部外国語学校入学者名簿(PDF) (日系アメリカ人退役軍人会ホームページ掲載)を参照。〕、陸軍少尉として敗戦間もない時期の日本に短期間進駐した経験を持つ。戦後大学に復学し、優等(magna cum laude)で卒業する〔『終戦外史』訳者あとがき(大井篤による)参照。〕。 日本近代史への関心から大学院に進学、1948年スタンフォード大学大学院修士課程修了、日本への短期間の留学を経て、1952年、日本の降伏決定についての研究でPh.D.(歴史学)の学位を取得した。アメリカ陸軍省の戦史部勤務〔『終戦外史』訳者あとがき参照。〕を経て、プリンストン大学歴史学部に講師(1954-59年)、同助教授(1959-60年)として務める。その後ワシントン大学に移り、准教授(1960-66年)、教授(1966-90年)を務め、1990年名誉教授として退職した。 博士論文であり、後に公刊された「日本の降伏決定」は終戦直前の日本側の動きを描いた先駆的研究として知られる。その後は東条英機の評伝、メリノール宣教会のウォルシュ司祭、ドラウト神父と井川忠雄などが行なった日米の非公式チャンネルによる外交交渉(米名:John Doe Associates)の研究を行なった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロバート・ビュートー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Robert Butow 」があります。 スポンサード リンク
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