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ロバート・アルトマン (Robert Altman, 1925年2月20日 - 2006年11月20日) は、アメリカ合衆国の映画監督。 マーティン・スコセッシ、ウディ・アレンと並んで、アメリカの俳優から最も尊敬されている映画監督の一人である。 == 来歴 == 1925年2月20日、ミズーリ州カンザスシティに生まれる。1943年、第二次世界大戦中の18歳でアメリカ陸軍航空軍に入隊した。 1946年にカリフォルニアに移住し、コマーシャルの仕事を始める。1951年、仕事の傍ら短編やドキュメンタリーを製作。1957年、初の長編劇映画『''The Delinquents''』を製作。同年製作したドキュメンタリー『ジェームズ・ディーン物語』はアルフレッド・ヒッチコックに評価された。 1962年、テレビシリーズ『コンバット!』の演出を務めた。同作は国内の愛国的雰囲気に支持されて、1960年代前半から長きに渡って放映され、日本などでもテレビの普及とともに人気を博したが、同年代の後半にベトナム戦争の泥沼化とともに厭戦や反戦の気分が高まったことで製作が中止された。1970年に朝鮮戦争を扱ったブラック・コメディ『M★A★S★H マッシュ』が第23回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。世界的な注目を浴びる。同作は後にテレビシリーズ化がなされ、アメリカで国民的な人気を博す作品となった。 1970年代はレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説『長いお別れ』を映画化した『ロング・グッドバイ』(1973年)や総勢24人の登場人物を描いた群像劇『ナッシュビル』(1975年)、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した西部劇『ビッグ・アメリカン』(1976年)、パームスプリングスを舞台に3人の女性を描いた『三人の女』(1977年)など、13本もの長編を製作した。 1980年にロビン・ウィリアムズを主演に製作した『ポパイ』が興行的にも批評的にも失敗。その後、1980年代は一時低迷し、テレビ映画も手がけるようになる。1992年にハリウッドを舞台にした群像劇『ザ・プレイヤー』が第45回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞して復活。1993年にはレイモンド・カーヴァーの短編を元にした群像劇『ショート・カッツ』が第50回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ミケランジェロ・アントニオーニと並んで、世界三大映画祭の最高賞を全て制覇した史上3人目の監督となった。 1994年にパリコレを舞台にした『プレタポルテ』にはマルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレン、ローレン・バコールなどが出演したほか、ジャン=ポール・ゴルチエやカーラ・ブルーニなどが本人役で登場した。1996年にはヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞を受賞。1999年にはアメリカ芸術科学アカデミー会員に選出された。 2001年にイギリスのカントリーハウスを舞台に製作した『ゴスフォード・パーク』が第59回ゴールデングローブ賞で監督賞を受賞。2002年にはベルリン国際映画祭名誉金熊賞を受賞。2006年、長年の創作活動に対して第78回アカデミー賞において名誉賞が授与された。 アカデミー賞にはこれまで監督賞に5回、製作者として作品賞に2回ノミネートされたが、受賞には至っておらず、長いキャリアの中で初めての受賞となった。また、その授賞式のスピーチで心臓移植をしていたことを告白。その8ヶ月後の11月20日、ロサンゼルスの病院で癌により81歳で死去した。同年2月に遺作となった『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を第56回ベルリン国際映画祭で発表したばかりであり、次回作の構想も練っていたという。ポール・トーマス・アンダーソンは2007年の監督作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』をアルトマンに捧げている〔Ian Haydn Smith著『''International Film Guide: The Definitive Annual Review of World Cinema''』(2008年)P.316より。 〕。2008年には第23回インディペンデント・スピリット賞でロバート・アルトマン賞と冠したアンサンブル賞が創設された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロバート・アルトマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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