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ボビー・マルカーノ(Roberto "Bobby" Marcano Cherubini, 1951年6月7日 - 1990年11月13日)は、ベネズエラ出身のプロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == ベネズエラのカラカス高校を卒業後、同国のプロ球団「ラ・ガァイラ」を経て、にシンシナティ・レッズと契約。AAA級ポートランド(クリーブランド・インディアンス傘下)やAAA級ソルトレイクシティ(カリフォルニア・エンゼルス傘下)などのマイナーリーグでプレーしたがメジャー昇格はならず、に阪急ブレーブスに入団。 1年目から強肩巧打の二塁手として活躍し、球団初の日本一に貢献。には94打点で打点王を獲得。福本豊、加藤英司らとともに阪急黄金時代を支えた。、ヤクルトスワローズに移籍し、に現役引退。 引退後、読売ジャイアンツの中南米担当スカウトとして契約し、ルイス・サンチェを紹介するとともに自身もサンチェの通訳として日本を訪れた。サンチェ退団後は帰国。 1990年11月13日、肺癌のためカラカスの自宅で死去。39歳だった。神戸の教会で行われた日本での追悼式には、同年までオリックスの監督を務めた上田利治や福本などかつてのチームメイトが参列し、その若すぎる死を悼んだ。 なお、スポーツライター・藤井薫の著書によれば、「マルカーノの曽祖父は天草出身の日本人である」というが、真相は不明。アナハイム・エンゼルスでプレーしていたオーランド・ラミレスは従兄弟である。1980年ワールドチャンピオン フィリーズの二塁手 マニー・トリーヨは従兄弟。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボビー・マルカーノ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bobby Marcano 」があります。 スポンサード リンク
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