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ロベルト・ロカッテリ : ウィキペディア日本語版
ロベルト・ロカテリ

ロベルト・ロカテリ ( ''Roberto Locatelli'' , 1974年7月5日 - ) は、イタリアベルガモ出身のオートバイレーサー。のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。
== 経歴 ==
1993年、イタリア国内のロードレース選手権でチャンピオンとなる。世界選手権には翌のムジェロでおこなわれたイタリアGPに、125ccクラスのワイルドカード枠で初出場する。デビューレースでいきなりポールポジションを獲得する活躍を見せた(決勝は10位に終わる)。
翌には250ccクラスにフル参戦デビューを果たしシーズンまでアプリリアのワークスライダーを務めたが、満足な成績は残せなかった。
からは125ccクラスに移り出直しを図ることになった。ホンダ・RS125Rを駆り、クラスデビューシーズンは97ポイントを獲得しシリーズ8位に入る。翌にはザクセンリンクで初表彰台(3位)に立ち、ポールポジションも3度獲得した。
には Vasco Rossi Racing (イタリアの歌手:en:Vasco Rossiのチーム)に移籍し、アプリリアに乗り換えた。ル・マン、ムジェロと初優勝から2連勝を果たす活躍を見せ、シリーズ4位に入った。
そして翌、Vasco Rossi Racing に残留したロカテリはシーズン5勝、8度の
表彰台、8度のポールポジション、230ポイントを獲得し125ccクラスワールドチャンピオンに輝く。
満を持して翌年から250ccクラスに復帰を果たし、はホンダ、はアプリリアを駆ったが、ワークスチームのシートを獲得できなかったことも影響して両年ともシリーズ8位に終わる。
は再び125ccクラスに戻り、この年からGP参戦を開始したKTMチームのライダーを務めたが、わずか18ポイントの獲得、シリーズ24位と失意のシーズンを送ることになってしまった。
翌はルーチョ・チェッキネロのチームに移籍し、再びアプリリアを駆ることになった。シーズン2勝を挙げ、シリーズランキング3位に入る活躍を見せた。
シーズンより125ccクラスに最高年齢制限(1月1日現在で28歳まで)が導入された。30歳のロカテリはこれ以上同クラスに参戦が不可能となり、再び250ccクラスに復帰することになった。2005年は表彰台を獲得することもできずシリーズ13位に沈んだ。
翌はハンガリーの Team Toth に移籍し、1年落ちのアプリリアを駆ることになった。決して恵まれた体制ではなく、ロカテリに活躍を期待する声は少なかったが、全レース10位以内で完走、3度表彰台を獲得する抜群の安定度を見せ、クラス自己ベストのシリーズ5位に入り、ベスト・プライベーター賞を獲得した。
前年度の活躍が認められ、はジレラチームに移籍し、アプリリアワークスと同等のマシン〔ジレラはアプリリアと同じピアジオ傘下であり、両社のマシンは基本的に同じ物。〕を駆ることになったが、第2戦ヘレスでのフリー走行中に転倒しタイヤバリアに衝突。顔の各部の骨折、左の足首も開放骨折、さらに肺も負傷するという重傷を負った〔http://www.motogp.com/ja/news/2007/Locatelli+in+intensive+care+after+Jerez+crash〕。しかし僅か2ヶ月半後のカタルニアで決勝レース復帰を果たす。この年は怪我の影響もあり、表彰台獲得なしのシリーズ13位に終わった。
はジレラに残留し、第8戦ドニントンでは史上6人目となる通算200戦目を迎えた。この年も表彰台を獲得することはできず、シリーズ9位となった。
はジレラで3年目のシーズンを迎えた。クラス最年長のライダーとしてシーズンを戦ったロカテリは、第4戦フランスGPで2006年以来となる3位表彰台を獲得した。そしてシーズン閉幕後、ロカテリはレースからの引退を発表し、16年間のグランプリ生活に終止符を打った〔http://www.twowheelsblog.com/post/3518/roberto-locatelli-retires-from-racing〕。
引退後、ロカテリは2010年シーズンよりイタリア国内選手権を戦うアプリリア・ジュニアGPチームでスポーティング&テクニカル・コーディネーターとして、若いライダーの指導にあたることとなった〔http://www.gpone.com/news/News.asp?NNews=6245〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロベルト・ロカテリ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Roberto Locatelli 」があります。



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