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ロベール・デスノス : ウィキペディア日本語版
ロベール・デスノス
ロベール・デスノス (Robert Pierre Desnos1900年7月4日パリ-1945年6月4日テレジン)はフランス詩人放送作家ジャーナリスト
言葉遊びを前面に出した平易でユーモアに富んだ詩を得意とした。その他映画シナリオ、映画評、シャンソン作詞など、多方面に才能を発揮した。
== 来歴 ==
パリのサン・マルタン街に生まれる。
学業にはまじめでなく15歳から働き始め職を転々とする。1922年シュールレアリスム運動に参加。リーダーのアンドレ・ブルトンに「シュルレアリスムの真実に最も近づいた人物」と評されるが、のちにそのジャーナリスト活動、政治傾向等を批判され、1929年ブルトンと決定的に袂を分かつ。
1928年キューバハバナで開かれたラテン=アメリカ・ジャーナリスト会議に参加、アレホ・カルペンティエルと親交を結び、彼をフランスに導くとともにルンバ音楽をフランスに伝える。
1930年代は創成期のラジオ放送の発展に貢献する。ポール・ドゥアルムPaul Deharmeのもとでラジオ番組、広告の制作に従事。1933年デスノスのシナリオによるラジオ番組『ファントマ哀歌』Complainte de Fantômas(ピエール・スーヴェストルPierre Souvestreマルセル・アランMarcel Allain原作の小説による)は朗読アントナン・アルトー、音楽クルト・ヴァイル、音響効果アレホ・カルペンティエルという錚々たる制作陣で人気を集めた。
藤田嗣治の妻だったユキと結婚。
第二次大戦中、占領下のフランスでレジスタンスに参加し、1944年ゲシュタポにとらえられる。各地の収容所を転々とさせられ、チフスのためチェコスロヴァキアのテレジン収容所で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロベール・デスノス」の詳細全文を読む



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