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ロベール・ド・モンテスキュー : ウィキペディア日本語版
ロベール・ド・モンテスキュー

モンテスキュー=フェザンサック伯マリー・ジョゼフ・ロベール・アナトール (Marie Joseph Robert Anatole, Comte de Montesquiou-Fézensac 1855年3月7日,パリ – 1921年12月11日, マントン) は、フランスの唯美主義者象徴派詩人、美術収集家、そしてダンディズムの体現者である。
ジョリス=カルル・ユイスマンス(1848-1907)の作品『さかしま』における主人公デゼッサントや、マルセル・プルースト(1871-1922)の『失われた時を求めて』におけるシャルリュス男爵らのモデル、創作的刺激(インスピレーション)のもととなった人物であり、特に後者において有名である〔''Prince Of Aesthetes: Count Robert de Montesquiou (1855-1921)'', Philippe Jullian, The Viking Press, 1968〕。
==生涯==

ロベール・ド・モンテスキューは、フランスの名高い家柄であるモンテスキュー家の御曹司として、パリで生まれた。遠縁の叔父には、デュマ三銃士のモデルとなったダルタニャンがいる〔Tadié, Jean-Yves, ''Marcel Proust'', Viking, New York, 2000〕。
ロベールは19世紀末のフランスにおける社交界の様々な著名人・名士たちとの付き合いがあり、そうした人物の中にはたとえばアルフォンス・ドーデ, エドモン・ド・ゴンクール, エレオノーラ・ドゥーゼ, サラ・ベルナール, ガブリエーレ・ダンヌンツィオ, アンナ・ド・ノアイユ, ジャン・コクトー, モーリス・バレス, ルイーザ・カザーティ, マルト・ビベスコらの人物がいる〔。
ロベールはまた、ガラス工芸家のエミール・ガレに大きな影響を与えたとされる。ガレにはロベールとの共同制作や、ロベールからの大作の依頼があり、ガレからはロベールを持ち上げる手紙が何百通も送られている。
ロベールの肖像画である''黒と金の配合 (Comte Robert de Montesquiou-Fezensac)''はロベールの親しい友人ホイッスラーによって制作された。ロベールの奇矯な言動の多くはホイッスラーを模したものである。
また、フランスの画家アントニオ・デ・ラ・ガンダラによってもロベールの肖像画が数点制作されている。
ガブリエル・フォーレの''パヴァーヌ''の合唱パートの詩はロベールの手によるものである。
イギリスの作家ウィリアム・サンソムは、ロベールの人物像を以下のように記している。
「高い背、黒い髪、紅い頬、カイゼル髭の彼は、おかしな様子でしゃぺったり叫んだり、高いソプラノでくすくす笑いしたり、小さな黒い歯を手袋で覆われた優美な手の向こうに隠したりと、完璧な気取り屋だった。モンテスキューの同性愛的傾向は非常に明白だったが、実際には純潔な生活を送っていたのかもしれない。女性との色恋沙汰はなかったが、1876年に大女優のサラ・ベルナールと一夜を共にし、それからの24時間、嘔吐しつづけたとも言われている(とはいえ、サラとは親友であり続けた)。」〔Sansom, William, ''Proust and His World'', Scribner, New York, 1973〕
ロベールには上流階級の女性の友人もいたが、明るく魅力的な若い男性との交友をはるかに好んだ。
1885年には、ロベールは美男子でアルゼンチン トゥクマン州から移民してきたガブリエル・イチュリ(Gabriel Yturri, 1868-1905)との長く親しい関係が始まる。ガブリエルはロベールの秘書、相棒、そして恋人であった。ガブリエルが糖尿病で亡くなった後には、アンリ・ピナール(Henri Pinard)が1908年に秘書の座を継ぎ、ロベール他界後にピナールは大幅に減ったロベールの遺産を相続した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロベール・ド・モンテスキュー」の詳細全文を読む



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