翻訳と辞書
Words near each other
・ ロマン・セロフ
・ ロマン・セーロフ
・ ロマン・ゾズリャ
・ ロマン・タム
・ ロマン・タラン
・ ロマン・ダージ
・ ロマン・デュマ
・ ロマン・デュリス
・ ロマン・トマ
・ ロマン・トメトゥチェル国際空港
ロマン・トーテンベルク
・ ロマン・ノイシュテッター
・ ロマン・ハウベンシュトック・ラマティ
・ ロマン・ハウベンシュトック=ラマティ
・ ロマン・ハウベンストック・ラマティ
・ ロマン・ハウベンストック=ラマティ
・ ロマン・バルデ
・ ロマン・パブリュチェンコ
・ ロマン・パヴリュチェンコ
・ ロマン・ビュシーヌ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ロマン・トーテンベルク : ウィキペディア日本語版
ロマン・トーテンベルク

ロマン・トーテンベルクRoman Totenberg, 1911年1月1日 - 2012年5月8日)〔〕は、ポーランド出身のヴァイオリニスト
== 生涯 ==
ウッチの生まれ。
6歳でヴァイオリンを始め、ミエチスワフ・ミハロヴィチにヴァイオリンを学ぶ。1923年にワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演してデビューを果たし、その後、ベルリンに留学してカール・フレッシュ門下となった。1931年には国際メンデルスゾーン賞を受賞し、パリでピエール・モントゥージョルジェ・エネスクらと共演し、ダリウス・ミヨーの知己を得た。1935年にはイギリスとアメリカに演奏旅行をおこない、成功をおさめた。1938年にはアメリカに移住している。その後は、アメリカを中心に演奏活動を展開し、アルトゥール・オネゲルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタのアメリカ初演、ウィリアム・シューマンのヴァイオリン協奏曲、クシュシュトフ・ペンデレツキのカプリッチョなどの初演を担当した。
また、教育活動にも従事し、アスペンやタングルウッドで継続的に後進の指導に当たったほか、1961年から1978年まではボストン大学の弦楽器部門の主任教授を務めていた。
ニュートンで没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロマン・トーテンベルク」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.