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ローウェンホルスト・ムルデル : ウィキペディア日本語版 | ローウェンホルスト・ムルデル
アントニー・トーマス・ルベルタス・ローウェンホルスト・ムルデル(''Anthonie Thomas Lubertus Rouwenhorst Mulder''、1848年4月28日-1901年3月6日)は、オランダ人土木技師。お雇い外国人として、明治期の日本において港湾や河川の事業に携わった。 日本では「ローウェンホルスト・ムルデル」と書かれる〔外務省記録の「官雇人表」にはA・T・L・ローウェンホルスト・ムルデルと書かれている。正確な氏名は1974年にオランダで発行された『新オランダ伝記辞典』のムルデルの項目が日本で紹介されるまで、知られていなかった。〕。また、「ムルドル」「ムルドン」などとも表記される。 == 略歴 ==
=== 来日前 === 1848年4月28日、オランダのライデンで生まれる。ムルデルと全く同姓同名の父親と、母親A.・C.・E.・ダアリーの間に生まれ、長姉のヤコブ・マリア、次姉のヨハンナ・エミリアに次ぐ三人姉弟の末っ子であった。初等教育をライデンとアルクマール、中等教育をハールレムで受け、少年期を過ごす。1865年に父を亡くすが、ハールレムや後にデルフトで学んでいるように、裕福な家庭であり遺産もあった〔『ムルデル その人と業績』p30,31〕。1872年にデルフトの王立土木工学高等専門学校(現・デルフト工科大学)を卒業し、水利省に勤務した。技師としてヴァール川の調査を行った。1873年8月ヘンドリック公の命により、スエズ運河ぞいに交易地を開設する任を帯び、エジプトのポートサイドに赴き、1875年に帰国した。1877年から1878年にかけてハーグの上下水道用運河の計画に従事し、その後ハーレムからブルーメンダールに至る鉄道の設計にも従事する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローウェンホルスト・ムルデル」の詳細全文を読む
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