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ローディー朝 : ウィキペディア日本語版
ローディー朝[ろーでぃーちょう]

ローディー朝(ローディーちょう、、)とは、15世紀後半から16世紀初頭にかけてガンジス川流域とパンジャーブ地方を中心に北インドを支配した、デリー・スルターン朝の5番目のアフガンイスラーム王朝(1451年 - 1526年)。長母音を無視してロディー朝とも呼ばれる。首都はデリーアーグラ
==歴史==

===成立===
初代のバフルール・ローディー(在位1451 - 1489)は、パンジャーブ地方で独立したサルダール(「指導者」)と呼ばれるアフガン人の有力者の一人であり、1451年サイイド朝から政権の委譲を受けてスルターンに即位して、ローディー朝を建てた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.152〕。
バフルールは勇猛だが貧困に悩むアフガン人の傭兵を招きいれ、アフガン人の歴史家アッバース・サルワーニーの表現を借りれば「アフガン人はイナゴの大群のようにスルターン・バフロールのもとにやってきて仕えた」という〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.180〕。
バフルールは東方のウッタル・プラデーシュ地方の支配をめぐりジャウンプル・スルターン朝との戦いを進めるに当たり、1479年ジャウンプルを占領してジャウンプル王国を滅ぼし、王国の版図を息子たちや親族に分割した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.155〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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