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ローブデコルテは日本の元競走馬。2007年に優駿牝馬(オークス)を制し、中央競馬のクラシック競走史上初の外国産勝利馬となった。また、史上初の芦毛のオークス馬でもある。馬名はフランス語で女性の礼装「ローブ・デコルテ」に由来する〔襟を大きく開けて、胸・肩・背を露出するドレスのこと。〕。2009年より繁殖牝馬となった。 なお、中央競馬で重賞5勝を挙げたダイワテキサスの母は、同名の「ローブデコルテ」だが別の馬である。 == 戦績 == 2006年に函館競馬場の新馬戦でデビューし、安藤勝己騎乗で勝利する。続く条件戦2走を2着として阪神ジュベナイルフィリーズに出走するが、ウオッカの4着に敗れた。 2007年は紅梅ステークスから始動し、これに勝利して2勝目を挙げた。しかし続く桜花賞トライアルのチューリップ賞は5着、本番の桜花賞でも4着に敗れた。迎えたオークスでは、桜花賞優勝のダイワスカーレットが感冒のために、ウオッカが東京優駿に出走するためにここを回避し、53年振り・春季開催のオークスとしては史上初めて桜花賞1、2着馬が不在という混戦模様となる。その中でも本馬は5番人気であったが、レースでは中団を進むと最後の直線で大外から追い込み、1番人気のベッラレイアをゴール直前でハナ差交わして優勝した。優勝タイム2分25秒3は、1990年にエイシンサニーが記録した2分26秒1を17年振りに更新するレースレコードだった。 この後は、アメリカンオークスに遠征。鞍上は騎乗停止となっていた福永祐一に替わり、同じくアメリカ遠征をしていた岩田康誠が務めた。レースではスタートで出遅れ、直線で追い込むもパンティーレイドに敗れて5着に終わった。また、競走中に鼻出血を発症したことにより、日米双方で1ヶ月間の出走停止を課せられた。 帰国後は、この夏に発生した馬インフルエンザの影響もあり、予定していたローズステークスを回避して牝馬三冠目の秋華賞へ直行。しかし10着と大敗を喫すると、以降は凡走を続けるようになる。結局、オークス以後は古馬になって出走した阪急杯 (GIII) とNSTオープン(オープン特別)での3着が最高という成績で、2008年秋に出走した府中牝馬ステークスでの10着を最後に競走馬引退、繁殖入りが決まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローブデコルテ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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