翻訳と辞書
Words near each other
・ ローマン・レインズ
・ ローマン・ヴァイデンフェラー
・ ローマン体
・ ローマン反応
・ ローマン書体
・ ローマン語
・ ローマン諸語
・ ローマ・アレエイロ駅
・ ローマ・イタリア放送交響楽団
・ ローマ・オスティエンセ駅
ローマ・オペラ座
・ ローマ・オリンピック1960
・ ローマ・オリンピック一九六〇
・ ローマ・カソリック
・ ローマ・カトリック
・ ローマ・カトリック教会
・ ローマ・カトリック教会の聖職者らによる性的虐待事件
・ ローマ・ギリシャ神話
・ ローマ・クアドレンナーレ
・ ローマ・クラブ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ローマ・オペラ座 : ウィキペディア日本語版
ローマ歌劇場[ろーまかげきじょう]

ローマ歌劇場(Teatro dell'Opera di Roma)は、イタリアローマにある歌劇場1880年11月に開場したコスタンツィ劇場がその前身である。数度にわたる名称の変遷、改修工事を経て、現在は総席数約1,600の歌劇場である。ローマ・オペラ座とも訳される。
== 歴史 ==

=== コスタンツィ劇場(1880年-1926年) ===
「コスタンツィ劇場」の名前はこの劇場を建てた施主、ドメニコ・コスタンツィ(1810年 - 1898年)の名に由来する。彼は私財をもってこの劇場を計画し、設計をミラノの劇場建築家アキーレ・スフォンドリーニに委嘱した。ローマ皇帝ヘリオガバルスの邸宅がかつてあった用地にこの新歌劇場は18か月で完成し、1880年11月27日、ロッシーニセミラーミデ』の上演で開場した。
スフォンドリーニは劇場の音響効果に留意し、馬蹄形の劇場内部構造全体が一種の共鳴室となるように計画した。席数2,212(2,293との異説あり)の劇場は3層のボックス席、その上部に壇式座席区画 (amphitheatre) 、さらにその上部に2区画の独立した天井桟敷を設けて、上にアンニバーレ・ブルニョーリの手になる美しいフレスコ画のドームを戴いていた。
ドメニコ・コスタンツィはこの歌劇場を自ら運営し、経済的困難はあったものの、数多くの世界初演を行うことができた。その代表が1890年5月17日、マスカーニカヴァレリア・ルスティカーナ』の大成功である。ドメニコの死後、その息子エンリコ・コスタンツィが運営を引き継ぎ、やはり著名作品、すなわち1900年1月14日、プッチーニトスカ』の初演を挙行した(『トスカ』自体ローマを舞台としており、ご当地オペラということになる)。
1907年にコスタンツィ劇場は支配人ヴァルター・モッキ率いるSocietà Teatrale Internazionale e Nazionale (STIN) に買収され、1912年から1925年まではモッキの妻であるソプラノ歌手、エンマ・カレッリを支配人として興行が行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローマ歌劇場」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Teatro dell'Opera di Roma 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.