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古代ローマ軍の個人装備品一覧(Roman military personal equipment)は、古代ローマの軍勢が使用した個人装備(攻城兵器などの集団で使用する物は含まない)を分類した一覧である。時代(王政、共和制、帝政)や兵種によっての違い、装備品の使用目的などを分類する上の指標としている。 ローマ軍が使用した装備は同時代の中でも優れた物が多く、特に甲冑に関する技術は文明水準の低い蛮族相手に大きな優位を獲得する要因となった〔Elton, Hugh, 1996, ''Warfare in Roman Europe, AD 350-425'', p. 110〕。ただし、これは全ての場合でそうであった事を意味しない。時にローマが対峙した敵の中には同等以上の装備を使用する場合もあったし、また研究者の中には「ローマ軍の装備品の品質は必ずしも高くなかった」とする論者もいる〔In Luttwak, E., ''The Grand Strategy of the Roman Empire'', JHUP, 1979, 「ローマ軍の装備は、時に彼らが対峙した周辺の国々よりも劣っている場合があった」〕。 王政ローマ時代から共和制初期までの装備は、先にイタリア半島での覇権を獲得していた古代ギリシャやエトルリアの様式を参考にして導入されていた。イタリア半島統一後に相対したケルト人との戦いで新しい戦術の必要性を感じると、古代ギリシャ・エトルリア式にケルト式の装備を組み込んだ装備品が共和制中期に用いられた。また海軍はポエニ戦争までは小規模な海賊討伐用の艦艇を保有するのみであったが、同戦争からフェニキア式・ヘレニズム式の大型艦艇を導入した。 ローマ軍は独自の新兵器よりも、既に効果が実証されている旧来の装備を活用して戦う事を好んだ。従ってローマ軍の使用する兵器は基本的にオーソドックスなものであり、(軍装や装備品の形状に独特さはあっても)奇抜な装備は用いていない。 ==概要== 帝政後期の軍学者ウェゲティウスは『軍事論』の中でローマ軍の重装歩兵が使用していた装備について言及している。同著は帝国が西方領土から東方領土へと軸足を移し始めた時代である為、一部の装備品はラテン語から古代ギリシャ語に言い換えられている。ウェゲティウスはローマ軍の装備について以下の様に述べている〔Book 2 Chapter 15. The nominative singular of the weapon has been placed in parentheses.〕: ローマ軍の中核は共和制後期からは重装歩兵となったが、彼らの任務は時代によって変わった。共和制後期から帝政初期はグラディウスとピルムで戦い、投げ槍で敵陣を崩してから白兵戦を挑んだ。しかし帝政中期から後期はむしろピルムで槍衾を作って、騎兵や歩兵を突き崩す事を目的とした〔Stephenson, I.P., 2001, ''Roman Infantry Equipment: The Later Empire'', p. 56〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローマ軍の装備一覧」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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