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ローラント・フライスラー : ウィキペディア日本語版
ローラント・フライスラー

ローラント・フライスラー(Roland Freisler、1893年10月30日 - 1945年2月3日)は、ドイツ法律家裁判官
第二次世界大戦中、ナチス政権下のドイツにおける反ナチス活動家を裁く特別法廷「人民法廷」の長官を務め、不法な見せしめ裁判で数千人に死刑判決を下した。
== 経歴 ==

=== 弁護士になるまで ===
1893年10月30日、プロイセン王国ツェレにアーヘン王立建築学校で教官を務める技術者ユリウス・フライスラーの息子として生まれる。
1912年にイェーナ大学で法学の勉強を始めたが在学中に第一次世界大戦が勃発して軍に志願、士官候補生、次いで少尉として従軍し、1915年にロシア軍の捕虜となってシベリア捕虜収容所に送られている。
収容所内でうまく立ち回り、1917年にロシア革命が起きた後は、ウクライナでボリシェヴィキ政治委員を務めていた。この共産主義者だったという前歴は、後のナチ党政権下で彼に対する陰口のネタになった。ヒトラーからも「あの元ボリシェヴィキ」と侮蔑されたという逸話もあり、フライスラーは終生これに悩まされたという。
終戦後の1920年、ドイツに帰還。イェーナ大学に復学し、1922年に法学博士号を取得。従軍期間のブランクを考えれば速い博士号取得といえる。1924年にカッセルでやはり法律家だった弟と共に弁護士事務所を開設した。ローラントは瞬く間に刑事事件専門の一流弁護士として名を馳せた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローラント・フライスラー」の詳細全文を読む



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