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ローランド・ラッツェンベルガー : ウィキペディア日本語版
ローランド・ラッツェンバーガー

ローランド・ラッツェンバーガー(Roland Ratzenberger, 1960年〔レーシングドライバーとしての経歴を若く見せるため、自身は1962年生まれであると、しばしばアナウンスしていた。〕7月4日 - 1994年4月30日)はオーストリア出身のレーシングドライバーである。日本では「ラッツェンさん」の愛称で親しまれていた。ドイツ語ではラッツェンベルガーと発音する。
== F1以前 ==
5歳のとき観戦したレースがきっかけで、レーシングドライバーになることを決意。その後、父の勧めで入った大学を中退してレース活動を開始した〔このことで父親との関係が悪化、その溝は生涯埋まらないままだったという。〕。
1981年から2年間ジム・ラッセルレーシングスクールでメカニックとして働いて活動資金を得て、1983年にドイツでフォーミュラ・フォードでレースデビュー(1986年まで)。1986年イギリスで行われたFF1600・フェスティバルで優勝。1987年からイギリスF3に進出。ツーリングカーレースでもBMWのワークスチームであるシュニッツァーのレギュラードライバーになる(いずれも1988年まで)。1989年、イギリスF3000参戦のかたわら、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)にトヨタのセミワークスのサードから参戦〔「Racing On」 No.052、p.31、武集書房、1989年。〕(1992年まで)。
1990年のサードとの契約内容にはトヨタの3.5L・NAマシンの開発ドライバーを務めることが盛り込まれており〔「Racing On」 No.069、p.54、武集書房、1990年。〕、開発ドライバーとしての評価が高かったことが窺われる。
1990年は全日本F3000にも参戦するが、開幕戦で予選落ち。以後数レースにスポット参戦。全日本ツーリングカー選手権(JTC)にBMW・M3で参戦(1992年まで)。
また1992年・1993年にはステラから全日本F3000に再び参戦して1勝を挙げるなど、日本のレース界との関わりは深かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローランド・ラッツェンバーガー」の詳細全文を読む



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