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ロー対ウェイド事件(ローたいウェイドじけん、''Roe v. Wade'', 410 U.S. 113 (1973))は、「妊娠を継続するか否かに関する女性の決定はプライバシー権に含まれる」として、アメリカ合衆国憲法修正第14条が女性の堕胎の権利を保障していると初めて判示し、妊娠中絶を規制するアメリカ国内法の大部分を違憲無効とした、1973年のアメリカ合衆国最高裁判所の判決である。 中絶を憲法により保障された権利として堕胎禁止を原則違憲としたロー判決はアメリカ合衆国の法律および政治・社会に多大な影響を及ぼした。中絶を合法化すべきか、憲法裁判における最高裁の役割、政治における宗教のあり方など、判決は様々な分野で大きな議論を巻き起こした。ロー判決はアメリカ史上最も政治論争の対象となっている判例の一つである。 判決を支持するプロチョイス派(女性の堕胎の権利を認める立場)は、女性の産む産まないを決定する権利を確立する上で重要な判決であると考え、ロー判決の判例変更に強く反対している。一方判例変更を求めるプロライフ(胎児の生命を尊重し中絶に反対する立場)は、判決が胎児の生命性を認めなかったことや憲法に明文規定のない堕胎の権利を最高裁が認めたことなどを厳しく批判している。 堕胎をめぐるアメリカ合衆国内の対立は激しく、その中心的な争点のルーツがロー判決の変更の是非である。2005年になりアメリカ合衆国最高裁判所判事の構成が変わったため、判例変更を目指す動きが再び活発化している。 ==歴史== ===ロー判決までの判例=== アメリカ合衆国では、建国後19世紀に入るまでは胎動感前の妊娠中絶については罰せられなかった。1820年代以後、主に女性の健康への配慮から妊娠中絶を規制する州が現れ、19世紀後半に入るとこの動きは加速した。1950年代までにはほとんどの州で女性の生命への危険を例外として中絶が禁止された。一方、1960年代に入ると中絶の条件緩和の動きが見られ、1970年までに4つの州で中絶が合法化されていた。〔''Roe v. Wade'', 410 U.S. 133,138-140 (1973).〕 一方、1960年代以降、判例上プライバシー権が合衆国憲法上の権利として認められてきた。1965年のグリズウォルド対コネチカット州事件判決〔''Griswold v. Connecticut'', 381 U.S. 479 (1965).〕で最高裁は、婚姻関係にあるカップルによる避妊具の利用を禁じたコネチカット州法について、プライバシーの権利の侵害であるとして違憲判決を下した。グリズウォルド判決の多数意見は、プライバシーの権利は憲法上明文規定はないものの、合衆国憲法の様々な人権規定の「半影」(英: penumbra)として認められると判示した。1972年のアイゼンスタット対ベアード事件判決〔''Eisenstadt v. Baird'', 405 U.S. 438 (1972).〕では、未婚カップルによる避妊具の所持もプライバシーの権利の一部として認められるとし、避妊具の購入を既婚者に限定したマサチューセッツ法が違憲とされた。しかし、ロー判決前に女性の妊娠中絶の権利について判断した判例はなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロー対ウェイド事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Roe v. Wade 」があります。 スポンサード リンク
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