|
ジョニー・ワイズミュラー(Johnny Weissmuller、1904年6月2日 - 1984年1月20日)は、オーストリア・ハンガリー帝国出身のアメリカ合衆国で活躍した水泳選手・俳優。 ヨーハン・ペーター・ヴァイスミュラーとして、現在のルーマニアのティミショアラの近くでドイツ系の家庭に生まれる。彼が7ヶ月の時に家族でアメリカに移住、ペンシルベニア州やシカゴで育つ。病弱だったため、医者に勧められて水泳を初め、12歳の時にYMCAの水泳チームに参加するようになる。 1922年、デューク・カハナモクが持っていた100m自由形の世界記録を更新。1924年のオリンピックでは100m自由形、400m自由形、自由形リレーの3つで金メダルを、水球で銅メダルを獲得。1928年のアムステルダムオリンピックでは100m自由形、自由形リレーの2つで金メダルを獲得。 == 映画俳優 == 1929年、ワイズミュラーは下着メーカーのBVDと契約を結び、モデルとなった。合衆国中を回って水泳ショー、水着のチラシ配り、サイン会、トークショーなどを行った。同年初めて映画『アメリカ娘に栄光あれ(Glorifying the American Girl)』に出演し、イチジクの葉を着けてアドニスを演じた。『Crystal Champions』では本人役で登場した。 メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと7年契約を結んでから俳優としてのキャリアが本格的に始まった。1932年の『類猿人ターザン』でターザン役を演じ、世界にセンセーションを巻き起こした。ターザンの原作者エドガー・ライス・バローズも喜んだという。 ワイズミュラーはモーリン・オサリヴァンをジェーン役として6本のターザン映画に出演した。3作ではジョニー・シェフィールドが子役として共演した。1942年にはRKOに移籍し、さらに6本のターザン映画に出演した。12本のターザン映画でワイズミュラーは200万ドルを稼いだと推定され、ターザン役では最も有名な俳優となった。 1971年の世界SF大会に招かれており、参加した矢野徹によると「70歳を過ぎているとは思えない若々しさ」だったという(実際には60代後半)。矢野からターザン・シリーズ(小説)の邦訳が開始された事を知らされると、非常に喜んでいた(エドガー・ライス・バロウズ 「ターザン、フィルムランドへゆく」『ターザンとアトランティスの秘宝』 高橋豊訳、早川書房〈ハヤカワ文庫SF〉、1972年、森優、295-296頁)。 晩年はハリウッドの精神病院で、現実とターザン役を混同したような奇行を重ねていたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョニー・ワイズミュラー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Johnny Weissmuller 」があります。 スポンサード リンク
|