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ワイポウア森林保護区(Waipoua Forest)はニュージーランド北島北部に残る原生林である。1952年に保護区として指定を受け、カウリ(''Agathis australis'')をはじめとした動植物が保護されている。ワイポウア森林保護区の総面積は 25km2 に及び、これはニュージーランドにおけるカウリの全分布域の3/4を占める広さである。他の地域では稀となった巨木も多く残っており、テ・マツア・ナヘレやタネ・マフタといったマオリの神木も見られる。 最大のカウリの森であると共に、北島では最大のキーウィ生息地となっている。高原地帯には同じくニュージーランド固有種の鳥である "Kōkako" (''Callaeas cinerea''、ハシブトホオダレムクドリ)が見られるなど、多くの動植物が生息している。ワイポウア森林保護区の近隣には Waima や Mataraua といった森林もあり、この一体はニュージーランド固有の植物相・動物相を残す地域となっている。 == 歴史 == ニュージーランドの先住民となったマオリが北島に移り住んだのは、9世紀から10世紀頃と言われている。マオリはカウリを彫刻し、カヌーや他の生活用品を作っていた。マオリ以外の人間として初めてワイポウアに立ち入ったのは、フランス人の冒険家ニコラ・トマ・マリオン=デュフレーヌである。マリオンは1772年、タスマンやクックらに次いで4番目のニュージーランド来航者となり、ワイポウアの大森林を発見した。この頃からワイポウアの樹木、特にカウリの商業利用に伴う伐採が行われるようになり、1820年にはイギリスへ向けた輸出も始まった。 森林の保護活動が始まったのは、ヨーロッパ人による発見からおよそ100年経った1876年であった。ワイポウアは先住民であったマオリから 2000 ポンド超でニュージーランド政府に買い上げられた。当時のワイポウアの森はおよそ 80km2 ほどだったと言われている。続いて1885年にはワイポウアはニュージーランドの森林保護政策下に置かれ、約 90km2 がその指定範囲となった。ワイポウアの森が早期の破壊を免れた理由としては、ワイポウアが辺境であったこと、それに伴い樹木の伐採・運搬が困難であったことが挙げられる。とは言え、カウリ伐採のブームであった1800年代末には既に 75% の森林が伐採されていた。 カウリ伐採の最盛期を迎えた1907年時点では、ワイポウアと他の1、2の小さな森林保護区のみが、ニュージーランドに残されたカウリの原生林となってしまった。この事態を重く見た王立森林委員会(Royal Commission on Forestry)は1913年、ワイポウアの 0.8km2 およびワラワラの森(Warawara Forest)の全体およそ 50 km2に対し、ニュージーランドの国立公園として指定した。1920年にはニュージーランド林野庁(State Forest Service)が設置され、森林の乱伐は一応の区切りをみた。しかし私有地における伐採は禁止されておらず、また1926年に近隣への入植者の便利のためワイポウアの森を縦断する形で国道が通されるなど、開発に伴う森林の減少は続いた。 1947年、ワイポウア保護協会のグループは王立森林鳥類保護協会(Royal Forest and Bird Protection Society)などの組織と連合し、160 km2に及ぶワイポウアの森林の保全を目的として 50,000 人分の署名を議会に提出した。これに追従する請願もあり、1952年7月2日に、80km2の森林を自然保護区とする宣言がなされた。カウリの伐採は1973年に終焉を迎え、国策として森林の保護および植林活動などが続けられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワイポウア森林保護区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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