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ワグナー事件[わぐなーじけん] ワグナー事件(ワグナーじけん)は、1913年9月4日にドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州のミュールハウゼン村(現在はミュールアッカー市(Mühlacker)の一部)で発生した大量殺人事件。日本では、1938年5月21日、岡山県苫田郡で津山事件が発生した際、この事件と多くの共通点が指摘された〔筑波昭著 『津山三十人殺し ―日本犯罪史上空前の惨劇―』96~104頁 新潮文庫 2005年 ISBN 978-4101218410〕。 == 犯人エルンスト・アウグスト・ワグナー == エルンスト・アウグスト・ワグナー(Ernst August Wagner)は、1874年9月22日、バーデン=ヴュルテンベルク州のエグロスハイム(Eglosheim)という村で、貧農の家の10人中9番目の子として生まれた。父は飲酒好きでうぬぼれの強い性格、そして母はいつも愚痴をこぼす陰険な性格で、性的にだらしがなかったといわれる〔中谷陽二著 『精神鑑定の事件史』 160頁 中公新書 1997年 ISBN 978-4121013897〕。ワグナーが2歳の時に父が他界、母は別の農夫と再婚するがワグナーが7歳の時に離婚、一家は極貧状態に陥った。ワグナーは、学校の成績は優秀で活発である一方、名誉欲が強く、異性への関心も早くから示し、18歳頃からはオナニー癖により、コンプレックスを抱くようになったともいわれる。 20歳で教員試験に合格したワグナーは、各地の国民学校で教鞭をとるようになった。この頃のワグナーは、周囲からは「礼儀正しく、おだやかで、親しみがもてる」人物と見られていたが、内面では上昇志向が強く、他人を軽蔑し、知識人を気取って「標準ドイツ語」で話すのを好むなど、過剰な自意識を抱いていたようである。また、文学への関心も強く、この頃から多くの詩や戯曲を執筆し始めている。 1901年、ワグナーは事件発生現場となったミュールハウゼン村に教員として赴任し、そこで居酒屋の娘と関係を持ち、妊娠させてしまう。ワグナーは彼女に愛情を抱いていなかったが、娘に結婚を迫られたうえ、周囲からの勧めもあり最終的には結婚に同意する。また、この件はワグナーの上司の知るところとなり、翌年、ワグナーは別の村に転任させられた。事件前年の1912年には、ワグナーはシュトゥットガルト近郊のデガーロッホ(Degerloch)に転任し、家族とそこに住んだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワグナー事件」の詳細全文を読む
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