|
ワシントンD.C.の歴史(ワシントンD.C.のれきし)では、主にアメリカ合衆国ワシントンD.C.となった地域が首都として指定されてからの歴史を概説する。 公式にはコロンビア特別区として知られるワシントンD.C.の歴史は首都としての役割の歴史でもある。ポトマック川に沿ったその場所はジョージ・ワシントンが首都にすると選んだ所である。米英戦争のときは、ワシントン焼き討ちと呼ばれる攻撃にあった。首都として戻されてからは、ホワイトハウスや議会議事堂など多くの公共の建物を再建する必要があった。1901年のマクミラン計画でナショナル・モールを作ることを含み中心街の再生と美化が進み、多くの記念碑や博物館が造られた。 1862年4月16日に特別区内の奴隷制が廃止されたが、1950年代までは人種差別が残っていた。20世紀初期にUストリート回廊がアフリカ系アメリカ人文化の重要な中心として機能した。人種差別撤廃後も人種問題による緊張感は高いままであり、1968年のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺で大きなワシントン暴動が引き起こされた。暴動の後は特別区内の多くの場所が破壊されたままとなった。ワシントン地下鉄が1976年に開通し、1990年代後半から2000年代初期にかけての再開発によって多くの地域が活性化された。 アメリカ合衆国憲法第1条第8節により、この特別区(州ではない)は連邦議会の排他的立法の下に置かれた。このために住民は議会における代表権が無いままにされた。1961年に批准された憲法修正第23条により、大統領を選ぶ選挙人を選ぶ権利が与えられた。1973年のコロンビア特別区自治法により、市議会議員や市長の直接選挙を含め地元政府に諸般の支配権が多く任せられた。 == 開拓史 == 考古学によれば、約4,000年前にアナコスティア川周辺の地域に先住民族が住んでいたことが示されている。1608年、ジョン・スミス船長がこの地域を探検した最初のヨーロッパ人となった。当時、ポウハタン族がポトマック川の南に住み、またピスカタウェイ族と呼ばれるアルゴンキン語族が北岸に住んでいた。 ヨーロッパ人開拓者はその後の数十年間に到着し、先住民を西方に追い遣った。この地域には2つの町が発展し、これがコロンビア特別区の母体になった。アレクサンドリア市は1749年に設立され、ジョージタウンが最初に入植されたのは1751年だった。オールド・ストーンハウスはジョージタウンにあり、この区内では最古の現存建築物である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワシントンD.C.の歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|